八重の桜 あらすじ ネタバレ 第9回
3月3日日曜日放送。
多くの視聴者からすれば、やはり、綾瀬はるか演じるヒロイン・山本八重の笑顔が一番目当てなのかな。
その会津では、照姫(稲森いずみ)の右筆選びの最中。
右筆(ゆうひつ)とは、位の高い人のそばに仕え物を書く人、いわゆる文官のことで、現代でいう秘書の役目に近い書記官かな。
仕える者の条件としては、心映えがよく、機転がきいて、武道の心得のある者が、ふさわしいとのこと。
八重の薙刀の師匠で会津藩武芸師範・黒河内伝五郎(六平直政)からの推薦もあって、八重が最有力候補に。
しかし、
選ばれたのは、八重の幼なじみで親友の高木時尾(貫地谷しほり)。
なぜなのかな、
代々から砲術師範を務める家柄ゆえか、将来予測される会津藩内全体の戦力低下を懸念してのことか、砲術をより極めてほしいという藩上層部からの想いあってのことなのかな。
その藩上層部の集中する京においては、
警護に務める秋月悌次郎(北村有起哉)と山本覚馬(西島秀俊)の元に、薩摩藩からの密使が。
密使の名は、薩摩藩士・髙松佐太郎(浜谷康幸)。
倒幕を狙う長州一派を都から排除する企てへの協力を求められることに。
まず、長州一派は、手始めとして"都焼き討ち計画"を実行に移そうとしているらしく...。
折しも薩摩藩は、前年の幕府第14代将軍・徳川家茂の上洛を促す一行の江戸からの帰りに横浜・生麦村で遭遇した"生麦事件"を発端とする、イギリスとの薩英戦争のために、上洛が難航。
そして、
かねてからの攘夷派の企てによる孝明天皇(市川染五郎)の攘夷親征の実行、いわゆる"大和行幸"の詔は、8月13日に発せられており。
前後して、会津藩と薩摩藩は、"薩会同盟"として手を組むこととなり、二藩を中心にした公武合体派は、中川宮朝彦親王(小須田康人)を擁して、朝廷における尊王攘夷派を一掃する政変を画策。
8月15日、松平容保(綾野剛)了解の下、秋月と薩摩藩士・高崎正風(誰が演じるんだろうな?)が、中川宮を訪ねて策を告げ、翌16日に中川宮が参内し孝明天皇を説得。
さらに翌17日、孝明天皇から中川宮に密命が下ることに。
容保には、長州一派への排除の勅書が。
当日、
1863(文久3)年8月18日午前1時頃、中川宮、容保、前関白で左大臣・近衛忠煕(若松武史)と近衛忠房父子、右大臣・二条斉敬らが参内。
早朝4時頃、会津、薩摩、淀藩兵により、御所九門の警備配置完了。
在京の諸藩主への参内の命が下り、三条はじめ尊王攘夷急進派の公家へ禁足と他人面会の禁止が命じられ、国事参政と国事寄人の二職が廃止。
8時過ぎ、兵を率いた諸藩主が参内、さらに諸藩兵が九門の警備を強化。
以上の状況下の朝議で、大和行幸の延期、尊王攘夷派公家や長州藩主・毛利敬親と定広の父子の処罰などを決議。
長州藩は堺町御門の警備の任務を解かれることとなった。
これが、世にいう「八月十八日の政変」。
翌8月19日、"七卿落ち"。
妙法院から長州へと下ったのは、長州藩兵1,000名余、三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉。
しかしながら、三条実美をはじめとする長州一派、
遠い将来にしぶとく生き残ることとなるんだよな。
今回、"薩会同盟"の立役者となったのが、会津藩の秋月悌次郎。
そして、徳重聡演じる薩摩藩の大久保一蔵のちの大久保利通(出演するかな?)。
しかし、一橋慶喜(小泉孝太郎)が攘夷を受け入れることを表明、公武合体策は暗礁に乗り上げることとなって...。
三条実美を演じる篠井英介。
NHK大河ドラマへの出演は、1990(平成2)年の『翔ぶが如く』では越前藩士・橋本左内、1993(平成5)年の『炎立つ』では源経成、1999(平成11)年の『元禄繚乱』では隆光を演じて、これが4度目。
生年月日は1958(昭和33)年12月15日生まれで、石川県金沢市出身。
5歳の時から日本舞踊を学び、中学、高校と演劇部に在籍。
宗家藤間流師範・藤間勘智英の名を持つこととなるのは、遠い将来のこと。
石川県立金沢向陽高等学校卒業後、日本大学藝術学部演劇学科に入学。
大学在学中にとある演劇集団に籍を置き、いとうせいこうと黒衣をすることに。
当初は歌舞伎役者志望だったものの、事情あって断念し、加納幸和事務所に所属。
1984(昭和59)年、加納、木原実らと「花組芝居」を旗揚げし、女形としての活躍を経て、1990(平成2)年に退団。
以後は、『欲望という名の電車』の主演・ブランチ役や『サド伯爵夫人』の主演・ルネ役など数多くの舞台に出演。
1992(平成4)年には、第29回ゴールデンアロー賞演劇新人賞を受賞。
おもに中性的な悪役など、個性ある俳優として、ドラマ、映画などで活躍のほか、深沢敦と大谷亮介とともに演劇ユニット「3軒茶屋婦人会」を結成、2003(平成15)年以降より、数年に1本の間隔で公演を行うこととなり、現在に至る。
昨年2012(平成24)年10月23日より、石川県観光特使。
いかなる分野であれ、芸を極めて精進する、ということは、まさに偉大だ。
2013-02-25 |
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