市川染五郎 本
とはいっても、失礼ながら、2010(平成22)年3月26日に発売された、現在の(7代目)市川染五郎の執筆した『歌舞伎のチカラ』ではありません。
5月4日土曜日のTBS情報番組『王様のブランチ』の読書コーナーで紹介された、市川染五郎の愛読書に関してです。
それは、赤瀬川原平氏執筆で、1991(平成3)年12月に筑摩書房より発売された『学術小説 外骨という人がいた!』。
氏の講義形式による進行で、氏による独特の飄々とした紹介分が、宮武外骨(みやたけがいこつ)氏の魅力を際立たせていてるらしく...。
染五郎曰く、昔にせよ今にせよ、規制に阻まれているといって、動けないのではなくて、逆に巧妙にかいくぐりながら主張して、ことを起こす方法が、痛快で前向きになれて面白いとのこと。
あの大怪我から見事に復活して以来、
NHK大河ドラマ『八重の桜』では、忠義を重んじて京都守護職に就いた会津藩主・松平容保に心を寄せる孝明天皇を、
NHK・BSプレミアムのBS時代劇『妻は、くノ一』で、妻となったくノ一・織江(瀧本美織)に変わらぬ想いを寄せ続ける彦馬を、
そして、何と言っても、今年の4月2日火曜日、1889(明治22)年の落成以来、新たに5代目となる歌舞伎座のこけら落とし公演。
風貌や仕草や立ち振る舞いは違っても、「心はいつも宮武外骨」、ということかなあ。
これからが楽しみだ。
その『王様のブランチ』が終わって、早速書店へ出向いて、手に入れてみようとしたけど、在庫なし。
代わりに、昨年2012(平成24)年3月3日土曜日に発売の『宮武外骨伝』(吉野孝雄/河出書房新社)を購入して一気に読書。
明治・大正・昭和といった時代背景に関して、最も信頼のおける評伝とのことで。
氏の原点を探るには、失礼ながら、これが一番ふさわしいかなあ。
宮武外骨。
あらゆる意味で、スゴイ人だったんだなあ。
生まれは、明治維新前夜の1867(慶応3)年1月18日(新暦:1867年2月22日)。
出身は、讃岐国阿野郡小野村(現・香川県綾歌郡綾川町小野)で、庄屋・宮武家の四男。
幼少以来、髙松栄義塾で漢学を学び、14歳となった1881(明治14)年に上京、進文学舎でも漢学の学習を継続。
幼少以来の四男としての立場からも理由の一つだろうけど、
明治・大正・昭和という時代の流れで、反骨・反権力貫いたジャーナリストとなった本格的な原点は、東京からかなあ。
戸籍上の本名を"外骨(がいこつ)"と改名したのが、17歳となった1884(明治17)年であることを考えれば...。
幼名の"亀四郎"の"亀"自体、"外骨内肉"の動物として見立てることで、自身を奮い立たせていたかもしれない。
1889(明治22)年2月11日に発布直後の大日本帝国憲法(明治憲法)を揶揄した咎、すなわち不敬罪として初入獄。
以来、『ハート』や『スコブル』や『滑稽新聞』そして『面白半分』などのほか、120以上の雑誌や書籍などで、言葉遊びやパロディーを駆使しては、お上に痛烈な批判を展開。
筆禍による入獄4回、罰金・発禁29回。
特に、漢字のモンタージュや伏字のくだりが最高。
お上からの規制を逆手にとっての巧妙な主張で、前向きにことを進めてゆく姿は爽快。
死去は、1955(昭和30)年7月30日、東京都文京区の自宅にて。
享年88歳。
晩年は、容姿がガンジーに似ていたという。
言い換えれば、現在でも充分に通用する超一流のコピーライターそのもの。
2013-05-04 |
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