キャプテンハーロック 映画 小栗旬
今年9月7日土曜日に登場。
劇場版CGアニメとして。
主演・キャプテンハーロックの声として。
確かに小栗旬は、現在でも脚光を浴びるイケメン俳優の一人。
特に、2003(平成15)年の蜷川幸雄演出の舞台『ハムレット』で、フォーティンブラスを演じて以来、蜷川演出の舞台の常連俳優となってからは、決して表面のみに甘んずることはない。
若手実力派俳優として磨きを掛け続ける姿勢には、一目置けるものがある。
脚本は、映画『亡国のイージス』の福井晴敏。
監督は、映画『APPLESEED アップルシード』の荒牧伸志。
しかし、なぜ。
三浦春馬とのツーショットによる告知ポスターを目にするだけでも、ここ数年も流行りのアニメ実写化の映画じゃないか、と勘違いしてしまいたくなるし。
しかも、三浦春馬演じるは、ハーロックの命を秘かに狙う青年・ヤマという"オリジナルキャラ"。
これじゃまるで、初めからイケメンありき、で決定したようなもの。
長い間の下積みで実力を身に付け、完成した絵に声を当てて吹き込むことに心血を注ぎ、晴れのオーディションに臨んだ200人以上の次世代の声優たちの想いを、何だと思ってんだという気がしてならない。
出来レースだったんだと、投げやりにさせないでほしいよ。
次世代の声優たちの夢を、将来の子どもたちの夢を、壊さないでほしいよ。
いわゆる"声優"という職業は、長い間に舞台に取り組んできた俳優自身の演技力や演出力に磨きをかけるための方法として、始まったもの。
基本は、"舞台俳優"としての発声と一挙手一投足。
そのため"声優"と呼ばれることを嫌い、"舞台俳優"の仕事の一つとする傍ら、地位向上に取り組んできた、今は亡き山田康雄や納谷悟朗、そして先のキャプテンハーロックの声でおなじみの井上真樹夫、ほか黎明期の方たちに憧れを抱いて、さらなる発展を目指そうと努力する人たちの想いを、心から理解してのことなのか。
甚だ疑問。
アニメ映画として上映する以上は、"声優"という仕事は"陰の仕事"。
おもに、絵に登場するキャラクターが前面に出ることで、
すなわち"声優"の顔が見えないからこそ、これからを生きる子どもたちに、夢や希望や憧れをすんなりと抱かせることができるもの。
いわゆる"イケメン俳優"が前面に出るだけでは、楽しい空想を大きく膨らませることはできないもの。
蜷川演出の舞台での発声や一挙手一投足のしっかりしている小栗旬ならば、難なくこなせるだろうと思うけど...。
井上真樹夫を超えられないだろうな。
『宇宙海賊 キャプテンハーロック』という松本零士原作の漫画は、1978(昭和53)年3月から1979(昭和54)年2月にかけて、テレビ朝日で放送されたテレビアニメ。
井上真樹夫のキャプテンハーロックの声、確かに本人の顔の見えない分だけ、良い意味でかっこよかった。
以後は、
1982(昭和57)年公開の若き日のハーロックを描いた劇場版アニメ『わが青春のアルカディア』。
続編として、1982(昭和57)年10月から1983(昭和58)年3月のテレビアニメ『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』。
とにかく奥が深い。
たかがハーロックと侮らないでほしいもの。
小栗旬と三浦春馬の正直な気持ち、どうなんだろうか?
2013-05-09 |
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