八重の桜 あらすじ ネタバレ 第24回
ついに戊辰戦争の東北地方での戦端が開かれてしまった。
それは、白河口の戦い。
この戦での戦局により、後に大きな影響を与えることに。
鍵となるのは白河城での攻防。
白河城は、白河藩の領地に存在し、1627(寛永4)年に丹羽長重によって改築された城。
しかしながら、仙台藩をはじめとする東北諸藩を仮想敵としての設計のため、南方は比較的手薄。
1866(慶応2)年に藩主が転封、二本松藩預かりの地となり、藩主不在が長く続いた。
先の6月9日日曜日放送の第23回での長州藩士・世良修蔵(小沢仁志)の処刑から間もなく、
1868年6月10日(慶応4年閏4月20日)、二本松藩兵の守備する白河城へ、会津藩兵が侵攻して占拠。
指揮を執ったのは斎藤一(降谷建志)。
手薄な白河城南方の防備を固めるため、白坂口と棚倉口の小山や丘に兵を配備しての防御態勢。
数日後、白河口総督として、会津藩家老・西郷頼母(西田敏行)が入城。
仙台藩、棚倉藩、二本松藩の増援部隊も到着。
奥羽越列藩同盟軍2,000から2,500名。
斎藤は白河口の防衛を献策したが、西郷頼母は兵力の多さゆえ不要であるとして却下。
一方、薩摩藩兵を中心に占め参謀の伊知地正治(井上肇)率いる新政府東山道軍は、すでに宇都宮城の戦いに勝利。さらなる進軍を重ねて、白坂口に本陣を置いたものの、長雨にぬかるんだ田地に足をとられて、行軍の疲労や土地勘のなさも加わって難儀。
やむを得ず、拠点として確保した宇都宮城に待機の土佐藩兵を率いる参謀の板垣退助(加藤雅也)に、援軍を要請して増員。
新政府軍約700名。
そして戦端は開かれた。
新政府軍は、少ない兵力ながらも三つに分散、新式の銃と機動力を巧妙に活かして、奥羽越列藩同盟軍を分断、白河城の奪回に成功。
死傷者数は、同盟軍が約700名、新政府軍が20名前後。
同盟軍は、連携の悪さゆえの兵力の終結や総攻撃の決断の遅れ、旧式の銃に使用による機動力の低下で、窮地に。
新政府軍は、攻撃当初においては関東を完全に制圧できていなかったこともあって、兵力の増強は難しかったものの、上野戦争、今市の戦い、などでの勝利が追い風となって、白河城を守り切った。
西郷頼母は総督を罷免された。
そして、あの二本松の戦いへとつながってゆく。
先の戦いで、兵力が白河周辺に釘付けになっていた関係から、二本松藩を守る兵力は、老人隊、少年隊、農民兵を含んだ予備兵のみ。
ついに、家老・丹羽一学による「死を賭して信義を守るのは武士の本懐」との一言で、抵抗の道へ。
特に、1868年9月15日(慶応4年7月29日)。
二本松城落城においての悲劇、最前線に放置されてしまった二本松少年隊の末路は、涙なしには語れない。
5月5日日曜日放送の第18回で、予想される戦場の偵察を兼ねた旅で、八重(綾瀬はるか)と川崎尚之助(長谷川博己)が、二本松で出逢った少年たちが...。
少年兵は、最年少で13歳だったという。
現代に生きる子どもたちには、どのように伝えているんだろうなあ。
2013-05-26 |
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