八重の桜 あらすじ ネタバレ 第38回
9月22日日曜日放送。
同志社英学校が新たに設立された校舎へ移転し、備品調達などの準備に追われる中での1877(明治10)年2月、鹿児島の西郷隆盛(吉川晃司)を担ぎ上げる不平士族の怒りは頂点に達し、ついに西南戦争が勃発。
折しも、女学校設立の許可の下りた後とあって、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)に、今以上の悲惨な戦をなくすためにも、より広い世界を学べて将来に役立てる人材を、特に女性の人材を育て上げるよう、哀願することに。
西南戦争勃発に伴い、山川浩(玉山鉄二)はじめ警視庁から佐川官兵衛(中村獅童)も藤田五郎(降谷建志)も、政府軍へ参戦することに。
そして、遥か熊本の田原坂で、政府軍参謀・大山巌(反町隆史)は、従兄の西郷隆盛率いる薩摩軍との大激戦へ。
会津藩出身者で占める警視庁抜刀隊が主力の政府軍と、昔ながらの薩摩隼人で占める薩摩軍との、長きにわたる一進一退の攻防の中、物量作戦に有利な政府軍が少しずつ勢いを盛り返して、政府軍の熊本城を守り切ることとなった。
以後の薩摩軍は敗走の連続となり...、
1877(明治10)年9月、少人数となった薩摩軍の立てこもる城山総攻撃が開始された。
政府軍による圧倒的な攻撃力で、薩摩軍は全滅、西郷隆盛も自刃した。
木戸孝允(及川光博)は、西郷の身を案じながら、京都にて病死。
大久保利通(徳重聡)は、翌年1878(明治11)年5月に、不平士族により暗殺。
薩摩藩出身者からすれば身内を分断しての戦である反面、会津藩出身者からすれば名誉回復の戦。
その代償として佐川官兵衛は直属の上官の失態で討ち死に追い込まれてしまうこととなったけど、現代で言う「会津魂Tシャツ」を着込む気持ちでの戦だったんだろうなあ。
次元が全然違うとお叱りを受けてしまえば、それまでだろうけど...。
2013-08-12 |
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