柄本時生 八重の桜
NHK大河ドラマ『八重の桜』も、明治時代の本格的な到来となり、9月15日日曜日放送の第37回からは、あの柄本時生が初登場する。
演じるは、熊本バンドの一員・金森通倫(かなもりみちとも)。
1876(明治9)年8月に地元を追われる形で熊本洋学校を卒業後、熊本バンドとともに9月に同志社へ入学し、新島襄(オダギリジョー)より受洗。
かなり使い古されて汚された聖書を手に、襄と向かい合って語り合う姿、出で立ちはみすぼらしくても、表情は輝いていて。
ただ、入学当初から熊本バンドとして、ひと悶着あるらしいけど...。
紆余曲折を経て1879(明治12)年6月、同志社神学科を卒業。
以後は、段階的に、頭角を現わすことになるのかなあ、
1880(明治13)年10月から1886(明治19)年9月まで、日本組合基督教会岡山教会牧師。
並行して、
1883(明治16)年6月から1884(明治17)年3月まで、同志社普通学校長兼神学校長。
1884(明治17)年7月から1885(明治18)年4月まで、東京番町教会牧師を務める傍ら、自由党にも入党し「自由新聞」主筆に。
同志社長代理として、同志社大学設立運動の募金を推進したのは、1888(明治21)年。
しかし、1898(明治31)年、棄教を宣言。
同年2月には大蔵省嘱託となって、貯蓄奨励運動を推進。
キリスト教への再入信を表明したのは、1914(大正3)年。
妻の死を通しての信仰の回復がきっかけとのこと。
以後は、救世軍に入隊して心霊特務の飛将軍になることもあって、
ホーリネス教会に入会し、ポール・カナモリの別名を授かることになったのは、1927(昭和2)年3月から。
1945(昭和20)年3月4日死去。
享年88歳。
生涯を振り返ってみて、
一番気になることと言えば、不幸なことに、新島襄と対立してしまい、同志社長代理を辞したことかなあ。
棄教を宣言した1898(明治31)年前後とどのように関連させてゆくのか....。
初めての受洗の折には、光り輝いていたのに、
2代目総長になるはずだったとも言われていたのに、
一体なぜなのか?
話は変わって、金森通倫を演じる柄本時生といえば、ご存知、父に柄本明、母に角替和枝、兄に柄本佑、といった俳優一家。
NHK大河ドラマの出演といえば、2006(平成18)年放送の『巧妙が辻』の第34回、後陽成天皇役として、豊臣秀吉役の父・柄本明との共演が挙げられるけど、
7年後に本格的な大河への出演か。
初登場での土や泥に汚れたかのような姿、
あの2011(平成23)年4月から9月まで放送のNHK朝ドラ『おひさま』で演じた、幼馴染のヒロイン・陽子(井上真央)にほのかな恋心を寄せる農家の宮本タケオに似ているかのような...。
不器用ながらも直向きだったなあ。
ただ、あの頃との違いといえば、
少しずつ洗練されてゆく姿が見られるということかな。
ほぼ終盤での残り少ない出演ながらも、魅せるとことは魅せてくれるんだろうなあ。
2013-09-11 |
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