軍師官兵衛 キャスト 柴田恭兵
2014(平成26)年1月5日日曜日より放送開始のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の待ち遠しい中、主人公の黒田官兵衛(岡田准一)と妻・光(中谷美紀)それぞれの存在感を、つい気にしてしまいがちなもの。
同時に、その存在感を際立たせることとなる、第一の後ろ盾は一体誰なのかも、つい気になってしまうもの。
それはやはり、官兵衛の父である黒田職隆(もとたか)。
演じるは、柴田恭兵。
出生は、1524(大永4)年。
父・黒田重隆(竜雷太)が在住していた、山陽地方随一の商業都市として繁栄する備前の福岡(現・岡山県長船町)にてとの言い伝え。
時は流れて、父・重隆から家督を相続して黒田家当主となり、播磨国飾東郡(現・兵庫県姫路市御国野町御着)にある御着城主の小寺政職(片岡鶴太郎)に仕えることに。
1543(天文12)年には政職の敵であった香山重道を討伐。それらの功績から1545(天文14)年、政職の養女を娶って家老に列せられるとともにに、小寺の姓氏を与えられ、播磨の姫路城の城代に。
城代としての職隆は、百間長屋を建てて貧しい者や下級武士、職人、行商人などを住まわせるなどして、配下に組み入れたり情報収集の場所とするなど、将来への礎を築くなど尽力。
1564(永禄7)年には、浦上政宗の息子・浦上清宗と自分の娘の婚姻を実現。
しかし、その宴席中に赤松政秀(団時朗)の奇襲で浦上親子共々娘を殺害され、職隆は政秀と対立。
1567(永禄10)年頃、息子の官兵衛に家督を譲渡し、姫路城の南東に位置する国府山城(こうやまじょう)に隠居。
隠居後間もない1569(永禄12)年、かねてより対立していた赤松政秀が、足利義昭(吹越満)を抱える織田信長(江口洋介)に属した池田勝正と別所安治の支援を受け、姫路城に3,000の兵を率いて攻め込んで来た"青山・土器山の戦い"の際、迎撃に出ていたが危機に陥っていた息子・官兵衛の救援のため、自身も出馬して勝利に貢献。
1578(天正6)年7月、摂津有岡城主・荒木村重(田中哲司)の織田家に対する謀反に小寺政職も呼応する向きを見せた際、官兵衛は村重を説得するため11月に有岡城に乗り込んだが、失敗ゆえ捕縛されて入牢。
そのため音信不通となり、黒田家は当主不在に。
この時の官兵衛の重臣7名が、連署で主が不在の間は職隆の命に従う誓約の旨の書状を、職隆に宛てて送ったこともあり、職隆は要請に応じて、1579(天正7)年10月19日の有岡城開城による官兵衛救出までの間のみ、黒田家当主の座に復帰。
以後の職隆は、織田家より離反した小寺政職には与さず、織田家に変わらず味方する姿勢を示したという。
1580(天正8)年、有岡城の謀反に呼応して織田信長に反逆していた小寺政職が逃亡。
以後、政職の子を密かに引き取って養育していたことで、清廉で忠義一徹なところを羽柴秀吉(竹中直人)にも賞賛され、後に姫路城の留守居を委任された。
死去は、1585(天正13)年8月22日。
享年62歳。
8月10日日曜日放送の第32回、いかに魅せてくれることになるのか?
この度の役どころは、清廉で忠義一徹な戦国時代の武将か。
1951(昭和26)年8月18日生まれの柴田恭兵も、この時すでに62歳。
還暦を過ぎても、内面は、かつての青年期に出演した映画やテレビでの探偵ものや刑事ものように、スピード感があり、フットワークの軽いつかみどころのないキャラクターのままなんだろうか。
しかしながら、好む好まざる関係なしに、心身の年齢の積み重ねを否定することはできないもの。
転機はやはり、2006(平成18)年7月、初期の肺がんに侵され摘出手術を受けたことかなあ。
その後の復帰作である2007(平成19)年2月より放送のNHK土曜ドラマ『ハゲタカ』から、重厚・熱血といったキャラクターに比重を多く置きつつあるかのよう。
そして、この度のNHK大河ドラマの出演は、2回目。
1988(昭和63)年放送の『武田信玄』で演じた上杉謙信も、清廉で忠義一徹な戦国時代の武将。
ただ忠義を重んじる姿勢がより強かったからか、毘沙門天の生まれ変わりへの自任も加わって、言動が神がかっていた。
特に、今まで正義のためと信じて戦ってきたが何一つ変わらないことに対し、どうすればいいかを毘沙門天に祈祷しながら問う謙信の姿が。
その問いかけに対しては、何と目の前の毘沙門天の像が謙信の口を借りて、「己 を 信 じ よ」と喋り出す、という本人の自作自演ともとれる言動。
あれから、26年後か...。
あの謙信よりは、いくらか温厚な姿を魅せてくれるということかなあ。
2013-11-17 |
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