軍師官兵衛 キャスト 谷原章介
2014(平成26)年1月5日日曜日より放送開始のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』がますます気になるところ。
いわゆる"天才軍師"として、主人公・黒田官兵衛(岡田准一)の存在感の大きさと同じくらい実感してしまうのは、織田信長(江口洋介)の家臣・羽柴秀吉(竹中直人)(=後の豊臣秀吉)の参謀として、官兵衛とともに活躍したことで"両兵衛""二兵衛"と称された一人・竹中半兵衛(谷原章介)。
元々はいわゆる敵方だったんだなあ。
1544(天文13)年、美濃・斎藤氏の家臣で美濃国大野郡(岐阜県揖斐郡大野町)大御堂城城主・竹中重元の子として同地にて誕生。
1558(永禄元)年、父・重元による不破郡岩手城主・岩手弾正への攻略が成功し、翌年1559(永禄2)年に菩提山城築城後に居城を移し、息子・半兵衛も追従。
1560(永禄3)年、父の死去または隠居[一説に父の死去は1562(永禄5)年とも]により家督を相続し、菩提山城主となって美濃国の国主・斎藤義龍に仕官。
1561(永禄4)年に義龍が死去すると、その後を継いだ斎藤龍興に仕官。
この頃から、尾張国の織田信長による美濃侵攻が、連年のように激化。
義龍時代は信長の攻勢をよく防いでいたが、義龍の死去に伴う後継の龍興は若年で凡庸だったために家臣団に動揺、一転して織田氏の侵攻を防ぐことが困難に。
そして(1月12日日曜日放送の第2回で明らかに)、信長が美濃に改めて侵攻。
半兵衛の進言を受け入れた斎藤軍は、"十面埋伏の陣"という独特の伏兵戦術で、織田軍を撤退へ。
1563(永禄6)年にも新加納で織田軍と戦、この時も半兵衛の戦術により斎藤軍勝利。
ところが、
主君・龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛して重治や西美濃三人衆を政務から遠ざけるように。
このため1564(永禄7)年2月、
弟・重矩や舅・安藤守就とともに龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城)を16人(『竹中雑記』、17人という説も)の部下とともにわずか1日で奪取。
信長は半兵衛の稲葉山城奪取を知ると、城を譲り渡すように要求。
半兵衛は拒絶し、8月には自ら稲葉山城を龍興に返還。
以後、斎藤家を去ることとなり、北近江の戦国大名・浅井長政の客分として東浅井郡草野に3,000貫の禄を賜るが、約1年で禄を辞して旧領の岩手へと帰り、隠棲。
1567(永禄10)年、信長の侵攻により斎藤家滅亡。
そして信長は突然、浪人していた半兵衛を自身の家臣として登用したいと考え、美濃攻めで頭角を現していた木下秀吉(後の豊臣秀吉)に勧誘を命じた。
秀吉は"三顧の礼"をもって半兵衛を勧誘。
半兵衛はこの時、秀吉の天性の才能を見抜き、信長に直接仕えることは拒絶したものの、秀吉の家臣となることを了承したとらしく...。
やがて、後に信長包囲網が敷かれることとなり、信長と浅井長政が敵対関係に。
半兵衛は、かつて長政の家臣時代にあった浅井家臣団との人脈を利用し、おもに調略活動で暗躍。
1570(元亀元)年には、浅井方の長亭軒城や長比城を、調略によって織田方への寝返りに成功。 直後の"姉川の戦い"にも安藤守就の部隊に参加。
合戦後、信長の命で横山城に秀吉とともに残し置かれ、この頃から信長直臣から秀吉の与力へと転じることとなった。
時は流れ、織田信長の最大の宿敵である越後国の上杉謙信が本格的な上洛を目指して進攻。
この時、秀吉は戦評定において総大将である柴田勝家(近藤芳正)と戦法をめぐって激しく意見を対立させた挙げ句、軍律違反を犯して戦線を勝手に離脱。
激怒した信長ではあったが、蟄居という比較的軽い処分に留めた代わりとして、秀吉が中国攻めの総大将に任じられての中国遠征に伴い、半兵衛も参加。
そして1578(天正6)年、宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城、信長から賞賛されることに。
ところが同年、
信長に対して謀反を起こした荒木村重(田中哲司)に対して(有岡城の戦い)、秀吉の軍師である官兵衛が有岡城へ赴き帰服を呼びかけるが、城内で捕縛されてしまう。
官兵衛からの連絡が長く途絶えたことで、自身への謀反と誤解した信長は、人質である官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の殺害を、秀吉に命じた。
しかし半兵衛は、自身への成敗を覚悟で秀吉に偽の首を進呈させ、松寿丸の命を助けた。
後に助け出された官兵衛は、このことを非常に感謝、竹中家の家紋を貰い受けることに。
1579(天正7)年4月、播磨三木城の包囲中に病に倒れた。
秀吉は半兵衛の病状を心配して京都で療養させたが、重治はすでに自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願、播磨三木の平井山秀吉本陣に戻り、陣中にて6月13日に死去。
享年36歳。
死因は肺の病気(肺炎か肺結核)という。
6月1日日曜日放送の第22回...。
6月8日日曜日放送の第23回...。
いかにして魅せてくれるのか、気になるところ。
谷原章介か...。
現在は、毎週土曜日9時半より放送のTBS情報番組『王様のブランチ』のMCの顔が定着しているけど、俳優としての顔も、家族としての顔も、しっかりと保たれているから、まさに敬服に値するもの。
俳優としては、ありとあらゆる性格や出で立ちを醸し出せる総合俳優の印象が強いけど、このNHK大河ドラマでは、権力者かそれに近い立場かつ頭脳明晰の役どころの印象が強いかなあ。
中でも2007(平成19)年放送の『風林火山』で演じた、駿河・遠江・三河を支配下に置く"海道一の弓取り"という異名の今川家当主・今川義元を演じた時が、そうだった。
常に相手に嫌味を言うかなりの皮肉屋ではあるものの、文武に通じた教養人。
"文武に通じた教養人"すなわち"頭脳明晰"という点では、竹中半兵衛に近いのかも。
『風林火山』での皮肉屋ではないにせよ、半兵衛が官兵衛を諭すところ、どう魅せてくれるのかなあ。
2013-11-27 |
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