軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第1回
2014(平成26)年1月5日日曜日に放送。
冒頭は、1590(天正18)年、小田原にて。
自軍の大軍勢の包囲する小田原城を見下ろす豊臣秀吉(竹中直人)の天下統一は真近なものの、すでに3ヶ月の膠着状態。
側近が秀吉に総攻撃を進言した時、突然、片脚を引きずった武将が...。
「殿下、人は殺せばそれまで。生かしてこそ、使い道があるのでございます」
秀吉が言葉を受け入れた後、武将は単身馬にまたがり、固く閉ざされた城門の前へ。
城兵の放つ矢に動じず丸腰になると、城主・北条氏に願い出て、大声で言い放つ。
「命を粗末にされるな。生きられよ!」
やがて、ゆっくりと門が開いて、小田原城は秀吉の手に。
その武将は、秀吉の天下取りを支えた稀代の天才軍師・黒田官兵衛(岡田准一)。
何ゆえに天才軍師なのか...。
ここに至るまでには、何が?
さかのぼること、1558(永禄元)年、
剣の稽古から抜け出し、広い草原を駆け抜ける齢13歳の万吉(若山輝人)のちの官兵衛と、後を追う万吉の傳役(もりやく)・母里小兵衛(塩見三省)の息子・武兵衛の向かう先は、広峯明神の横手に並ぶ御師(おし)屋敷。
御師とは、広峯明神に仕え、五穀豊穣の御札を諸国に売り歩く人々のこと。
万吉の一番の楽しみは、諸国をめぐる御師・伊吹善右衛門(尾藤イサオ)から、珍しい土産話を聞くことで...。
天狗と鬼を合わせたような容姿の南蛮人が、ビードロとういう美しいガラス玉や、人を一瞬で殺すとされる鉄砲という飛び道具をつくる話に、心躍らせる万吉だったが、かねてからの悪い癖で厠かわやに行くのを忘れるくらい夢中になり、袴を小便で濡らしてしまっては、父・職隆(柴田恭兵)を呆れさせてしまう。
主君・小寺政職(片岡鶴太郎)の養女である妻・いわ(戸田菜穂)は、変わり者ながらも心根の優しい子と、微笑ましく感じる反面、職隆は「優しいだけでは、武家の当主は務まらない」と険しい。
職隆の心配の種の一つは、いわの病弱な容態でもあって。
当時の室町幕府の威光はすでに失墜、尾張の織田信長(江口洋介)はじめ各地の戦国大名たちが、覇を競い合う時代。
この播磨でも、豪族たちによる小競り合いは日々繰り返されていて...。
前日に戦に駆り出された職隆は、主君の居城・御着城への報告に上がったものの、政職の命に反して賊を深追いしなかったことを、小河良利(磯部勉)と江田善兵衛(上杉祥三)から責められる。
二方は、外様の黒田家が家老に取り立てられた上、小寺の姓まで賜ったのが、かなり気に喰わないよう。
職隆の味方は、自身を胞輩と呼ぶ石川源吾(枡毅)。
職隆が姫路で睨みを利かせているからこそ、西の赤松家は小寺領内に攻め込まれない、ということを二方に断言して、その場は事なきを得ることに。
その頃、書物飽きた万吉は、また城を抜け出し、祖父・重隆(竜雷太)の屋敷へ。
万吉の学問嫌いを笑う重隆の元には、善右衛門の娘・おたつが重隆のために、時折薬草を届けてくれていて...。
元来、黒田家は主家を持たない流れ者の浪人だったが、姫路に流れ着いた重隆が、諸国を歩く御師に黒田家秘伝の目薬を売り歩くことを思いつき、次第に財を成して家来を増やしていったという。
それが、小寺家の目に留まり、仕官することになったのが由緒。
やがて、ある日のこと、かつて重隆が仕えていた縁から、龍野城の赤松政秀(団時朗)が西方寺の僧・円満(麿赤兒)を使者として黒田家へ。
小寺家と手を切り赤松家に味方することを促された職隆は、小寺家への恩義と絆を理由に辞退。
そんな中、無断で赤松領内に入った万吉が、敵に捕らわれてしまった。
病に伏した母・いわのために、龍野城近くにある龍神池まで、おたつとともに薬草を採りに行ったらしく。
知らせを耳にした職隆は、危険を顧みず、少数の供を連れて、息子を迎えに龍野城へ。
ここぞとばかりに城主の政秀は、職隆を調略。
しかし、息子を人質にすることをほのめかされた職隆は、斬り死にするまでと凄む勢い。
本気を察した政秀は態度を急変、戯言とごまかして大笑いするといった狸ぶり。
万吉は無事に救い出されて、姫路城に戻ったその足で、薬草を手に病床の母・いわの元へ。
しかし、いわは万吉を平手打ち。
軽はずみな行いによる皆への多大な迷惑を厳しく叱責した。
現に、親子ともども殺されてもおかしくなかった上に、傳役・小兵衛は責めを負い切腹しようとしたという。
万吉は涙ながらに約束。
今後は、父・職隆の言うことを聞き、武家の嫡男としての覚悟を持つことを。
それからほどなくして、いわは万吉に言葉を遺して亡くなった。
「万吉...まっすぐ生きるのです。 母はずっとあなたを見守っていますからね」
いわの死を境に政職との縁の薄まったとみた赤松側は、職隆を説き伏せるよう、重隆に接触。
流れ者の浪人上がりゆえの知恵からか、生き残るために最善の道を見極めることを最善とする重隆は、赤松側に仕えることを職隆に促す。
しかし、「武士は義に生きるもの。損得勘定で動くのは商人」と、職隆は断固として意志を曲げない。
堅物の息子・職隆にため息の重隆、
古参の連中に目薬屋と長く蔑まれて鬱積する職隆、
ともに心は重いまま。
一方、亡き母との約束通り学問・武芸に励む万吉は、武兵衛からの知らせで、広峯明神の火事騒ぎに遭遇。
ここ最近、職隆が所用で城を留守にする時に限っての賊の襲撃がしばしばで、野武士に追われるおたつを目撃した万吉は、石を投げつけ野武士を撃退、おたつの手を取り、森の中の洞穴へ逃げ込んで、難なきを得た。
この一件は、小河や江田らに職隆を排除する格好の口実に。
職隆は懸命に弁明するも、政職が疑いを持っていることは明らかで。
そして、落胆して帰城した職隆に、万吉は驚愕の事実を告げる。
先のおたつと逃げ込んだ森にて、ひとりの武士が賊の首領に指示する現場を目撃したとのこと。
その武士とは、味方のはずの石川の家来・吉田平蔵。
吉田が上意討ちされて、石川は赤松へ。
石川の真の狙いは、職隆に謀反の疑いをかけ小寺家と離反させて、赤松側に寝返らせることにあった。
一件落着して、職隆は万吉を褒め、万吉は父に初めて満面の笑み。
そして職隆は、小寺家との結びつきを保つため、政職の世話で後添えを貰うこととなった。
すべては生き残りのために。
哀しいかな、ありとあらゆる乱世の習いがあって...。
1560(永禄3)年5月19日、今川義元の25,000余の軍勢が、織田信長(江口洋介)率いるわずか2,500余の兵に敗北。
世に言う"桶狭間の戦い"で、尾張のうつけ殿が海道一の弓取りを討つ、といった事実による時代の変化に感嘆する善右衛門の話に、重隆は驚愕。
しかし万吉は、信長という人物に興味を覚えた。
敵の大将の首を取った者よりも、敵の居場所を教えた者に恩賞を多めに与えたという、信長の考えと采配に。
万吉のちの官兵衛にとって、武士としての長き人生の道標となるのは、この幼少当時においては、父・職隆はもちろんのこと、祖父・重隆の存在感が大きかったかのよう。
祖父・重隆を演じた竜雷太の登場は、1月19日日曜日放送の第3回までであるものの、存分に魅せてくれそうだ。
流れ者の浪人から薬売りとして身を興して財を成す、という生き方と考え方か。
NHK大河ドラマ初出演となる1983(昭和58)年放送の『徳川家康』で演じた、旅の僧・随風に近いかなあ。
幼少の竹千代(松田洋治)を幼少から武芸の稽古などで見守り、方々の旅と乱世の生きざまに揉まれる過程を経て、天海上人となってからは、晩年の徳川家康(滝田栄)に、泰平の世のために、いろいろと口添えする役どころだった。
乱世から泰平へ。
かの『徳川家康』と同様、この『軍師官兵衛』でも、骨太に魅せてくれそうだ。
2013-12-16 |
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