軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第9回
3月2日日曜日に放送。
官兵衛(岡田准一)一行が長浜城に滞在した翌朝、官兵衛は秀吉(竹中直人)の軍師・竹中半兵衛(谷原章介)と初対面。
かねてからの高名ゆえ敬服に値する人物として心躍らせていた官兵衛だったが、対面早々の播磨の地侍のとりまとめをめぐっての、人を食ったような半兵衛の視線と物言いに、内心憤り。
半兵衛のお手並み拝見の姿勢を知るなり、慌ただしく播磨へ戻って、早速御着城へ。
留守中、官兵衛に敵愾心を抱く左京進(金子ノブアキ)の讒言で、政職(片岡鶴太郎)が織田に属することをやめると言い出したものの、職隆(柴田恭兵)と光(中谷美紀)がうまく取り成してくれたこともあって、すぐさま政職に対面できるようになったらしく...。
しかし、播磨を出たことのない上に敵の領地の通行を恐れる政職は、播磨の三家の足並みの乱れを理由に、信長(江口洋介)との対面に消極的。
官兵衛は、自身による別所、赤松の説き伏せを実現させた後の決断を、政職に促す形で、城を後にした。
まず官兵衛は、三木城へ。
この時の当主は、先代・別所安治から家督を相続した齢18歳の長治(入江甚儀)。
万事を仕切っているのは、後見役である二人の叔父の賀相(ベンガル)と重棟(佐戸井けん太)。
早速、本題に切り込んだ官兵衛に、長治は信長に会う決意。
二人の叔父が止めに入るものの、長治は自身が当主であること、織田に属するのが最善の道であることを、強く宣言。
これまで操り人形だった甥の豹変に、二人の叔父は唖然とするだけで...。
というのも、長治が学問に秀でて政を叔父任せにしては書物を読み漁っているのを、すでに官兵衛は把握していて、あらかじめ書状を出して道理を説いていた。
それは、『六韜』という兵法書の言葉。
「人に国柄を貸すなかれ」
(君主は臣下に統治の力を貸してはならぬ...。)
一方、赤松から小寺への恨みは相変わらずの強さ。
当主・赤松広秀の父親は、長きにわたって小寺と戦を繰り返してきた、あの政秀(団時朗)だった。
官兵衛は争わない意志表示のため、丸腰で龍野城へ。
別所と小寺が手を組んだことを家臣を通じて広秀に伝えたことで、いよいよ面会。
広秀は強く身構えたものの、この時の赤松が備前の宇喜多に攻められているゆえ、織田に属することでの計り知れない利と形勢を、官兵衛から説かれたことで、受け入れることに。
ことをすませて再び御着城に参じた官兵衛は、信長への拝謁を政職へ念押し。
ところが、政職は突然の取りやめを口にして...。
お紺(高岡早紀)が泣いて止めると嘘を言い、職隆の説得にも耳を貸さないありさま。
やがて、信長上洛の10月に合わせて京にのぼるようにとの、秀吉からの文が届いて...。
どうやら政職は官兵衛を織田家にとられてしまうと不安がっているのではと、官兵衛と職隆は困惑。
埒が明かない中、突然、荒木村重(田中哲司)が大軍を引き連れて参上。
信長の命で、官兵衛の加勢に来たとのことで、政職をたっぷりと脅すつもりらしくて...。
そして、実現の運びに。
1575(天正3)年10月、京の妙覚寺。
播磨の三大勢力である、小寺・別所・赤松の当主が、そろって信長に拝謁。
官兵衛の目論見通り、播磨のおもだった勢力は織田方へ。
謁見を終えて、官兵衛と半兵衛が再会。
すでに村重から聞いた話では、半兵衛は以前から間者を使って播磨一円を調べていく中で、政職の心変わりを知ったとのこと。
しかも、村重は、官兵衛の策が実を結べば、無傷のまま播磨を手に入れることができると信長に説き、官兵衛を助けてほしいと頭を下げたという。
半兵衛はほくそ笑みながら口にした。
「戦の情は速やかななるを主とす」
戦は迅速でなくてはならないゆえ、頼りにならず振り回してばかりの主君への謀反を唆すかのような口ぶりの半兵衛に、官兵衛は「いずれまた」と一礼して、その場を後にした。
翌年1576(天正4)年4月、石山本願寺に大勢の一向宗の門徒が集結。
中心人物は、親鸞の子孫である本願寺十世法主・顕如(眞島秀和)。
後ろ盾となる毛利はすでに前将軍・足利義昭(吹越満)を迎え、幕府再興を名目に戦う覚悟。
門徒の結束は固く、この機会を逃せば滅びるのみの先行きに、戦を決意せざるを得なくなった顕如の表情は固い。
やがて、織田方に属した黒田家では、一向宗の門徒の3人の侍女が城を去った。
家中の女をまとめきれなかった未熟さを詫びる光に、生き残るため選ばねばならない立場ゆえ決断が間違っていない以上、信じるように優しく気遣う官兵衛。
その官兵衛の元に、血相を変えた善助(濱田岳)と九郎右衛門(高橋一生)が、英賀の港に毛利の大軍の船の襲来を知らせてきた。
覚悟を決めた官兵衛と家臣団たちは戦へ。
1543年2月20日(天文12年1月7日)、本願寺第十世証如の長子として誕生した顕如か...。
顕如の時代、本願寺教団は、父の時代以来進めてきた門徒による一向一揆の掌握に務める一方、管領の細川家や京の公家衆との縁戚関係を深めており、経済的・軍事的な要衝である石山本願寺を拠点として、主に畿内を中心に本願寺派の寺を配置。
そして、大名に匹敵する権力を有するようになり、教団を最盛期へ導いた功労者へ。
そして1570(元亀元)年、"野田城・福島城の戦い"に端を発した、すなわち石山合戦と呼ばれる織田との一連の抗争。
信長と反目した義昭、甲斐国の武田氏、越前国の朝倉氏、近江国の浅井氏ら反織田勢力迎合による信長包囲網への加担。
やがて、1574(元亀4)年4月の武田信玄急死に伴う包囲網破綻からの同盟勢力滅亡への流れ。
為政者である信長そして秀吉との駆け引き。
50歳にて示寂することとなる1592年12月27日(文禄元年11月24日)まで、どのような描かれ方になるんだろうか?
本放送と並行するかのように、昨年2013(平成25)年9月に長浜市長浜城歴史博物館より出版された『顕如・教如と一向一揆 信長・秀吉・本願寺』でも目を通してみようかな。
一方で、2012(平成24)年1月から3月まで放送のTBS日曜劇場『運命の人』で、眞島秀和が演じた週刊『潮流』記者松中雄也も、何気に気になった。
最終回まで出演していたんだよなあ。
あの松中同様、第三の立場としての顕如の動向、見逃せない。
2014-02-01 |
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