女のいない男たち 感想
かねてから時折気になっていた文藝春秋に連載の村上春樹の短編で、それをまとめたものが、すでに4月18日金曜日に発売されたことを知ったのは、つい先日。
独特の冗長な文体ゆえ、まとめて一度に読んでみたところ、『女のいない男たち』の共通テーマとして、最大公約数的な「男」のイメージがくっきりと浮かび上がってくるかのような心地に...。
「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ」
表題作『女のいない男たち』の定義か...。
良くも悪くも心に響いてしまう。
恋人や妻から捨てられ裏切られた男たちの心の傷を、あらゆる角度から見つめる失恋の物語として。
浮気の理由を妻の生前に確かめられず悩む男の物語を描いた、「ドライブ・マイ・カー」。
わずかながらでもよかったのは、男が雇う若い女性運転手かな。
口数少ない彼女がもらす一言一言が、少しずつ確実に男を救っていく過程、忘れられない。
関西弁でビートルズを歌う木樽が魅力的の「イエスタデイ」。
陽気で誠実な木樽は、恋人に「僕」をあてがってまでして彼女を近くに引きとめようとするけれど、結局浮気されてしまう、悲しい物語。
志は高いが、行動様式は喜劇的、そして結末は悲劇的。
それでも、恋人に浮気された木樽より、第三者の「僕」の方が傷ついているように見える面白さ。
一体何なんだろう?
つかず離れずの気軽な関係でさんざん女遊びをしてきた整形外科医が、中年にして初めて真剣な恋に落ち、失恋し、そしてその痛手で餓死してしまうという「独立器官」。
ある程度の自業自得かな?
「シェエラザード」は本作のなかで一番際立った設定をもつ作品。
登場人物は、「ハウス」と呼ばれる一室に送り込まれ、そこで外界との交渉を断って待機する男と、彼の世話(食事の世話と性欲処理の世話)を受け持つ"連絡係"の女性。
彼女が男に話して聞かせる魅力的なピロートークを主軸にした物語が進展。
男は女性が去るとともに物語のつづきが聴けなくなることを恐れていて...。
ただ、男には、おそらく何らかの(宗教?)組織に属していて、何か恐ろしい任務を遂行するための指示が下るのを待っているところなのではないかと思わせる描写があって...。
これには、背筋が冷たくなった。
自分の退けてきた(見て見ぬふりをしてきた)傷や闇と向き合う物語「木野」。
妻と同僚の浮気現場を目撃した男が離婚し、会社を辞めてバーをひらくが、あるときから奇妙な出来事が起こり始めて....。
主人公の木野が、地下室への階段を一歩一歩降りて行くように、自分の心の闇にすこしずつ踏み込んでいく過程が迫真的で、力強かった。
最後に表題作の「女のいない男たち」。
かつての恋人の夫から突然電話がかかってきて、妻(つまり元恋人)が自殺したと告げられた主人公が、恋人の喪失が本質的には何を意味するかを自問する物語。
筋らしいものはあまりないものの、比喩と比喩が緊密に結びついていて、それが物語に"散文詩"のような魅力を添えていて...。
好悪の分かれそうだなあ。
口には出さなくても、いろいろな思いを抱えている"女のいない男たち"、心の片隅に留めておきたいな。
目に見えない痛みを実感するためにも。
2014-04-26 |
共通テーマ:日記・雑感 |
nice!(0) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0