軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第23回
6月8日日曜日に放送。
1579(天正7)年11月、有岡城が陥落。
官兵衛(岡田准一)救出の知らせは、すぐさま姫路の父・職隆(柴田恭兵)の元に届いて、一族と家臣は喜びに。
不在の城主・荒木村重(田中哲司)の妻・だし(桐谷美鈴)は、覚悟を決めていたのか、侍女数名とともにキリスト像に祈りを捧げているところを、織田方に捕らわれた。
官兵衛は有岡城下の銀屋にて保護され、わずかながらも快方へ。
そこで、農民を装った秀吉(竹中直人)と再会。
再会の喜びと同時に、半兵衛(谷原章介)の死の知らせを耳にした悲しみも交錯して...。
しかしそれも束の間、善は急げとばかりに、秀吉と手の者により戸板に寝かされた官兵衛は、そのまま信長(江口洋介)の宿所へ。
信長は驚き、秀吉から聞かされた官兵衛のこれまでの経緯に、言葉が出ない。
信長は官兵衛にこれまでの誤解を詫びて、さらなる重い口を開こうとした時、
松寿丸(若山耀人)が突然現われ、父・官兵衛と涙の体面。
信長はもちろん、秀吉も官兵衛も、まさに突然のことで...。
すべては、半兵衛の企てだった。
信長から許しを得ることとなった官兵衛は、秀吉の勧めで有馬温泉へ、池ノ坊左橘右衛門の館に逗留。
間もなく光(中谷美紀)が訪ねてきて、官兵衛、そして松寿丸と涙の再会。
しばらく養生の日々が続き、光とともに姫路へ戻ることとなる松寿丸は、半兵衛から託された軍配を渡した。半兵衛からの言葉を伝えられた官兵衛は、何かを悟ったかのよう。
一方、信長方の見張りの下、だしと侍女と残された家族は、京の妙顕寺に。
高山右近(生田斗真)は、将来のためとはいえ、主君・村重を裏切ることになってしまった自責の念から、密かに格子の向こうのだしに呼びかけ、必ず救い出す旨を伝えた。
しかし、時の流れは無情。
同年12月13日には村重の籠城する尼崎城の近くの刑場で、村重に味方した家臣の家族が、女子供容赦なしに処刑。
3日後の12月16日。
だしと侍女と残された家族は、市中引き回しの上、京の六条河原で斬首された。
絶世の美女が処刑されるのを耳にした野次馬の多くは、だしへの憐みや村重への恨み言が大部分。
しかし、だしは恨み言を口にせず、凛としたまま。
右近と文四郎(遠藤要)は、悲しくも静かに見届けるしかなかった。
村重は内心動揺するものの、生への執着をさらに強めて、密かに尼崎城を抜け出して行方不明に。
1580(天正8)年正月、官兵衛は父・職隆と向き合い、半兵衛を想いを汲み入れて、軍師として非情に徹する覚悟を伝えた。
正月のひとときを終えて、官兵衛は平井山の半兵衛の墓参を済ませて、そのまま秀吉の本陣へ。
三木城攻めは大詰めを迎えており、官兵衛は改めて仕える旨を秀吉に伝えて、再出発へ。
官兵衛を癒やした有馬温泉の湯は、日本三大古湯の一つ、
有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃から、両天皇の行幸がきっかけとのこと。
その伝統は1000年以上を超えるという。
そして、有馬に沸き立つ黄金色の金泉は、かの太閤秀吉が湯治のために、好んで足を運んだとのこと。
後年には、繁栄をもたらした秀吉にあやかり、縁起の良い名産品が...。
"金泉"を想像して造られた生菓子として、有馬温泉の御茶菓子として、客室でサービスされているみたらし風味の小餅『名湯有馬 金泉焼 小判15gX50枚』のように...。
ほかには、湧き出る炭酸水に着目したことで、有馬温泉名物の一つとして1907(明治40)年に誕生したと伝えられている、『神戸発! 炭酸煎餅われせんX3』。
さらに、食物繊維が胃に長時間留まる満腹感ゆえに食欲を抑えられるという兵庫県丹波産黒大豆からの『わけあり 黒豆茶 1kg ティーバッグ 業務用 兵庫県 丹波産 (10g×100袋) 黒豆茶粉末』。
もちろん遺伝子組換なし。
「おせち」として1年をマメ(活発)に過ごせるように、とのゲン担ぎならば、この上ない嬉しさ。
官兵衛の再起に想いを馳せて、打ちのめされてしまった人たちがより多く再起できることを祈って...。
2014-05-02 |
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