軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第27回
7月6日日曜日に放送。
1582(天正10)年の黒田家には、長政(松坂桃李)に次ぐ14年ぶりの男子誕生の喜びに沸く中、幼少より長政とともに育った、後藤又兵衛(塚本高史)が、訪ねていた。
2年前の春、小寺家に追従した伯父・藤岡久兵衛が最後まで悔いたまま亡くなったことを伝えるためで、他所で仕官の道を探すことを告げた後に去ろうとした又兵衛だったが、光(中谷美紀)に止められた。
長政のためにここにいてほしいと願う光に、伯父に従ったことで黒田家を敵に売り渡したも同然という自責の念から、又兵衛は頑ななまま。
それでも、二度も母を捨てるのかという光の涙ながらの訴えに、又兵衛は再び黒田家のために、改めて尽くすことを決意する。
その知らせは、すぐに長政に伝えられ、奮起させることになった。
その長政らが関わる、備中高松城攻めの秀吉(竹中直人)の本陣の石井山周辺では、三成(田中圭)の主導で、高松城川上の足守川堰堤工事が急ぎで進められ、5月19日すなわち着工から12日で完成へ。
折しも、梅雨が始まって間もない雨により、川上はいまにもあふれんばかりの水量。
やがて堰が切られて、すぐさま髙松城の周囲は相次いで水没。
世に言う「高松城水攻め」だった。
さすがに毛利方の策士の小早川隆景(鶴見唇吾)はじめとする面々は、唖然とするだけだった。
やがて毛利の岩月山本陣に、官兵衛(岡田准一)が訪ねてきた。
この時官兵衛と隆景は初対面、官兵衛が意外にも悪人顔でないことに、隆景は内心拍子抜けしたかのよう。
出陣真近の信長(江口洋介)の望みは髙松城主・清水宗治(宇梶剛志)の首であること。
それゆえ、宗治はじめとする家臣たちを救うためにも織田への寝返りに応じることを、官兵衛は持ちかけた。
隆景は内心揺れたが、かねてから毛利に忠義を尽くす宗治の思いを痛感するだけあって、猶予を得る形で一時留保することに。
前後して5月15日、安土城では三河の徳川家康(寺尾聰)が信長に招かれていた。
家康は幼少以来の信長の同盟者。
この度の武田氏滅亡の働きあって、駿河一国の所領を与えるとの信長の下知に、家康はご満悦。
この時の馳走役には、光秀(春風亭小朝)。
早々より、食の好みの違いを分かっていないとする信長からの厳しい叱責に、光秀は震え上がった。
家康の取り成しで事なきを得たものの、光秀の心は晴れぬまま。
とういうのも、光秀は一方で、昵懇の吉田兼和(堀内正美)からの、官位を不要とする信長の言動に困惑する帝の気鬱が日増しにひどくなりつつあるとの知らせも、重くのしかかっていて...。
ほどなく光秀は、丹波と近江の領地召し上げの知らせに驚き、信長の元へ。
新しく国を作り変えたいとする理由と、次の所領は毛利攻めの働き次第であることに加え、日本の帝は二人もいらぬとする信長の断言から、光秀は茫然自失に。
そして時は無情に流れて...。
5月27日、愛宕山にて光秀は、何かに憑りつかれたかのようにおみくじを引くことの繰り返し。
5月29日、信長出陣、わずかな軍勢分散の後、手勢とともに本能寺へ。
6月1日、公家を集めての茶会が本能寺で大々的に催される一方、光秀は多くの軍勢とともに、丹波亀山城。
光秀は、声を大にした。
荒木村重(田中哲司)は正しかった。
ただ、時を間違えただけ。
そして、
「敵は本能寺にあり!」
今後の思わぬ衝撃の展開の予想できないまま、備中高松城攻めの秀吉は意気揚々だったはず。
現在、髙松城水攻めの面影は、岡山県岡山市北区の一角、かの堰堤や城の石積みの一部が僅かにあるのみで、城の痕跡はほとんど残っていない。
代わりに、公園として整備されており資料館が開館。
堰堤跡は高松城水攻め史跡公園として整備され、発掘調査により土杭等が確認されているという。
城跡と堰堤跡は「高松城跡 水攻築堤跡」の名称で国の史跡に指定。
低湿地帯だった土壌ゆえに、美味しい食に恵まれているのは嬉しいな。
いわゆる"アイガモ農法"と同様の"アヒル農法"で育てた『石井さんちのアヒルのお米 30kg(5kg×6袋)』。
品種はコシヒカリで、玄米からも白米からも選べる。
ほかには、
岡山県産の代表的なお米で造った『きびの吟風 純米酒 朝日米 1800ml』、
『銘店シリーズ 箱入元祖岡山とりそば太田 (4人前)×10箱セット』。
じっくり味わってみようかな。
髙松城に想いを馳せながら....。
2014-05-07 |
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