軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第28回
7月13日日曜日に放送。
1582(天正10)年6月2日早朝、明智光秀(春風亭小朝)率いる軍勢が、京の本能寺の織田信長(江口洋介)を急襲、世に言う"本能寺の変"が勃発。
信長は、すべてを達観したかのようで、正室・お濃(内田有紀)とともに奮戦、お濃の討死の後に、奥の間に入って火を点けて自害して果てた。
この時、備中高松城水攻めの秀吉(竹中直人)は、眠れぬ夜を過ごして、城を眺めながら夜明けを迎えていて...。
折しも、戦の膠着状態ゆえの農作業の支障に堪りかねた百姓が水抜きを願い出ていることあって、官兵衛(岡田准一)との話し合いの上、銭をいくらか与えて凌ぐことに。
今後の策を思案する官兵衛の元に、善助(濱田岳)からの知らせで、小寺政職(片岡鶴太郎)と嫡男・斎改め氏職が百姓に身をやつしてひっそりと日々を過ごしていることを知る。
久方ぶりに対面することとなった政職は病床に。
政職はこれまでの不甲斐なさで窮地に追いやったことを官兵衛に詫びて、心から和解。
氏職を黒田家のもとで育て上げることが決まって安堵した政職は、静かに息を引き取った。
一方、信長の横死と光秀勢の包囲により大揺れの堺では、徳川家康(寺尾聰)が我を忘れて自害の心積もりだったが、家臣団に諌められて我を取り戻し、"伊賀越え"で三河まで向かう運びに。
窮地打開のため、京の有力町衆で信長家臣の茶人・長谷川宗仁は、飛脚の辰蔵を使者として備中へ。
やがて秀吉本陣の官兵衛の元に、宗仁の書状を携えた辰蔵が到着。
官兵衛は衝撃。 すぐさま毛利に向かう東から来る者が現われれば詮議するよう指示を下し、秀吉に信長の横死を伝えた。
激しく慟哭する秀吉に、毛利に悟られぬよう京へ戻り謀反人の光秀を討つのが最善の道であること、天下取りが近くなることを伝えた官兵衛は、毛利の外交僧・安国寺恵瓊(山路和弘)の元へ急ぎ出向くことに。
そして、二人だけの対面にて、秀吉との和議で毛利の所領八か国を安堵する旨に驚いた恵瓊に、官兵衛は信長の横死を伝えた。
官兵衛の賭けだった。
本能寺の変を起こした明智光秀には、朝廷との長きにわたる関係ゆえに、天下を独占しようとする傲慢さはなかったという。
いわゆる、恐怖心説、理想相違説、朝廷説、といった動機に比重が置かれているかのよう。
長年の時は流れて、明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫・明智憲三郎により2013(平成25)年12月に執筆された『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫)、なかなかの読み応えあり。
対する官兵衛による「孫子の兵法」の見事なまで実践ぶりの綴られた2013(平成25)年11月発売の『黒田官兵衛 智謀の戦国軍師』(小和田哲男 / 平凡社新書)も、負けてはおらず。
いずれにせよ、「腹が減っては戦ができぬ」ことには変わらず。
現代ならば、『軍師官兵衛 豆煎餅』を口にして、ことに当たりたい心境?
2014-05-28 |
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