軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第30回
7月27日日曜日に放送。
秀吉(竹中直人)の下知により、姫路からの全軍出立は6月9日早朝となった。
そして、全軍の士気を高めるため、城外への禁足を命じる一方で、城内の金銀と兵糧を惜しみなく全軍に配ることを、三成(田中圭)に促した。
さらに秀吉は、信長と嫡男・信忠(中村倫也)の生存を伝える偽文を、幾内一円への花押入りの書状としてしたためることに専念。
言いようのない緊張の高まる中、束の間の安らぎは、長政(松坂桃李)と蜂須賀小六(ピエール瀧)の娘・糸(高畑充希)との初めての出逢い。
炊き出しの確保の順番をめぐって、ひと悶着となり、売り言葉に買い言葉の応酬。
結局、周囲への見苦しさでバツが悪かったか、糸は父親譲りの跳ねっ返りぶりで、必ず逆臣・光秀(春風亭小朝)を討伐してくれと、長政に檄。
成り行きを面白おかしく見守っていたのは、官兵衛(岡田准一)と光(中谷美紀)と侍女・お福(阿知波悟美)。
官兵衛と光との初めての出逢いを、もう一度見ているかのようだった。
そして、職隆(柴田恭兵)の秘かな計らいで、官兵衛と光は誕生間もない次男・熊之助とともに、幸せな一夜を過ごした。
6月9日早朝、全軍が姫路を出立し、夜に明石到着。
6月10日、兵庫に到着後、九郎右衛門(高橋一生)が使者として、方々へ援軍の働きかけ。
一番の懸念は、信長の三男・信孝が、成り上がりの秀吉を毛嫌いしていること。
折しも、四国平定の任務が頓挫し、大坂での足止めの長引く信長の最古の家臣・丹羽長秀(勝野洋)が、一肌脱いでくれた。
その長秀の働きかけにより、信孝は秀吉に担がれる形で総大将に。
一方、光秀は近江方面の攻略が一段落した9日、勅使下向の返礼と称して安土より上洛。
光秀入京の際には公家や町衆が群がって出迎えたとのことで、光秀は吉田兼和(堀内正美)を通じて朝廷に銀子500枚、京都五山・大徳寺などをふくめると700枚の銀子を献上。
さらに上京・下京に対し地子銭免除の特典を発し、新たな天下人として振る舞った。
しかし、細川藤孝(長谷川公彦)は信長に弔意を示したいとして幽斎と改名、家督を嫡男・忠興に譲った。
そして、喪に服す一方、忠興の正室で光秀の娘・玉を幽閉。
手探りの中、態度を明確にしない筒井順慶の取り込みのため、10日に宇治川・木津川を越えて男山に近い洞ヶ峠まで出陣。
しかし、手応えはなかった。
そこへ、九郎右衛門が使者として参上。
雌雄を決したいとの申し出に、光秀は愕然。
1582(天正10)年6月13日、
世に言う"山崎の戦い"が始まった。
戦力差は歴然としていて、明智軍の戦力が1万6千余に対し、高山右近(生田斗真)や中川清秀(近江谷太朗)などが加わった羽柴軍は4万余に。
秀吉の圧勝だった。
光秀は、坂本城目指して落ち延びる中、本経寺付近の竹薮で、百姓による落ち武者狩りで最期。
長女・お倫(石橋杏奈)は、二人目の夫・明智秀満(鳥羽潤)とともに坂本城で自刃。
秀吉の天下人への道の始まりだった。
戦の繰り広げられた天王山の麓・山崎では、宇治川と木津川と桂川が合流して、霧の生じやすい湿潤な気候風土。
敵方の攪乱にはふさわしいとも言える場所ゆえ、両軍ともに凄まじいせめぎ合いが展開されたのが、目に浮かんできそう。
長年の時が流れて1923(大正12)年、サントリー創業者・鳥井信治郎が、「スコッチに負けない日本のウィスキーをつくりたい」という夢に突き動かされて、日本最初のモルトウィスキー蒸留所・山崎蒸留所を建設。
ウィスキーの熟成にもふさわしい自然環境でつくられた『山崎シングルモルトウイスキー 700ml』は、まさに格別。
そして、現在の比叡山坂本一帯は、比叡山の麓で育くまれた清らかな水と無垢な素材がなければできなかった『胡麻豆腐 比叡どうふ』が...。
乱世とは無縁の多くの幸に恵まれることを祈って...。
2014-06-01 |
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