軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第31回
8月3日日曜日に放送。
1582(天正10)年6月27日、清須城にて、信長(江口洋介)亡き後の継嗣問題とそれに伴う領地再分配に関する会議、世に言う"清須会議"が開催。
この日集まった織田家家臣は、池田恒興、柴田勝家(近藤芳正)、丹羽長秀(勝野洋)、そして羽柴秀吉(竹中直人)。
筆頭家老の勝家は、信長の次男・信雄が後継の器としてふさわしくないことを理由に、三男・信孝を擁立。
対する秀吉は、信長の嫡孫にあたる亡き信忠(中村倫也)の嫡男・三法師(後の織田秀信)を擁立。
あの1577(天正5)年での越後国の上杉謙信との対峙の最中の戦法をめぐる対立と無断帰還以来、勝家は秀吉に不満だったが、秀吉が光秀討伐の功労者であること、長秀らの支持のほか、三男であり神戸氏へ養子に出ている信孝よりも血統的な正統性が強いことも理由となり、三法師が後継者として決定。
領地再分配では、次男・信雄は尾張国を、三男・信孝は美濃国を相続。
信長の四男で秀吉の養子である羽柴秀勝は明智光秀の旧領である丹波国を相続。
家臣団へは、勝家が越前国を安堵の上で、勝家の希望から秀吉の領地である長浜城と北近江3郡を割譲。
長秀が若狭国を安堵の上で近江国の2郡を、恒興は摂津国から3郡を、それぞれ加増。
新当主である三法師は、近江国坂田郡と安土城を相続、秀吉には山城国が与えられた。
結局のところ、信孝が三法師の後見人として収まったものの、勝家には、北国足止めにより光秀討伐を果たせなかった屈辱のほか、三法師の一番の後ろ盾同然の秀吉に、不満を蓄積。
信孝も同じ気持ちで、秀吉への対抗心から、叔母すなわち信長の妹・市と勝家の縁組みを仲介することに。
一方、秀吉は、信長の死から3ヶ月にも関わらず、三法師を喪主とした葬儀を渋る勝家と信孝に不満を鬱積。 10月15日、京の大徳寺にて、秀勝を喪主として盛大な葬儀を強行。
何よりも秀吉は、勝家の動向、復権を画策する足利義昭(吹越満)や、毛利の実権を掌握する隆景(鶴見唇吾)に不満の兄・吉川元春(吉見一豊)へ、書状を送っていることを、危険視していた。
秀吉の意を汲み入れた官兵衛(岡田准一)と小六(ピエール瀧)は、備後に仮御所を構える義昭に謁見。
義昭の二枚舌を熟知する官兵衛は、話し合いの末、秀吉を頼りにしているとの義昭の言葉を引き出し、それを元春に伝えると仮御所を後にした。
後方の憂いを断つことのできた秀吉は、12月に長浜城と北近江3郡を奪還、さらには信孝のいる岐阜城を陥落。
勝家は越前に封じ込められることに。
明けて1583(天正11)年正月、黒田家の姫路城で盛大な宴が催された。
ただ、長政(松坂桃李)だけは、父・官兵衛から嫡男としての心構えを常日頃から求められているだけあって、浮かない顔。
しかし、その長政の気持ちを察してか、縁談が...。
相手は、あの小六の娘で、跳ねっ返りの糸(高畑充希)だった。
長政と初めて出逢ってからの糸を、かつての官兵衛との初めての出逢いを重ね合わせる光(中谷美紀)が気に入ってのことで、話は円滑に進み、長政と糸は晴れて夫婦に。
晴れの日の続く中、官兵衛は秀吉の茶頭・千宗易(後の利休)(伊武雅刀)から突然招かれ、会わせたい人がいると簡素な茶室へ。
何と茶を点てているのは荒木村重改め道糞(田中哲司)だった。
官兵衛は、一族と家臣を見捨てて逃亡した道糞に怒り心頭。
宗易の取り成しでその場は収まったものの、何と言いようのない雰囲気の流れるまま。
道糞の点てた茶を口にすることなく後にした官兵衛に、宗易は道糞の煩悩を断ち切ってほしいこと、そうすることで自身の内面の変化を促してほしいこと、そして新たな道を見い出してほしいことを頼んだ。
改めて茶室に入った官兵衛に、道糞はあの有岡城陥落以来、信長に負けないためにも、醜態をさらしてでも生きることを決意したと打ち明けた。
そして、信長の横死で空虚になってしまっても、生きることへの執着の消えないこと、宗易に師事しても茶の湯の極められない煩わしさも口にして...。
天下という魔力がある限り、殺される人たちはとどまることを知らず、自身のような化け物が生まれるばかりだ。 天下という魔力に囚われてしまうのは、秀吉も例外でない。 といった道糞の殺伐とした語りに、官兵衛は何も言えないまま、後にするしかなかった。
やがて1583(天正11)年2月、勝家と同じく秀吉に不満の滝川一益(川野太郎)が、伊勢長島で戦端を開いた。
それに乗じて勝家も決起して、4月には"賤ヶ岳の戦い"へ。
しかし、勝家は敗れて、4月23日に越前の北ノ庄城にて市とともに自害。
後に信孝も自害し残された一益は、長秀の仲介で剃髪後、越前にて蟄居へ。
あの北ノ庄城炎上直前、戦国美人三姉妹と讃えられた浅井三姉妹が、三成(田中圭)に伴われて、秀吉の前へ。
うち、秀吉を強く睨む気の強い長女が、正面から言い放った。
「猿。 父・朝井長政、母・市の仇。 決して許さん」
長女の名は茶々(二階堂ふみ)。 すなわち後の淀殿だった。
勝家終焉の地である越前国・北ノ庄城。 現在の福井県福井市の福井城周辺か...。
降り注ぐ太陽と年間約2,000ミリ超の雨の恵みと、福井県の穀倉地帯を潤す延長116kmの九頭竜川の豊富な滋養が、豊かな大地を育むんでいるんだよなあ。
それゆえに、澄んだ空気と清らかな水と美味しくて新鮮な食材が長寿へと導いてくれたのか、福井県は県民の平均寿命が男女仲良く全国第2位という日本を代表する長寿県、すなわち世界でも屈指の長寿の地に。
特に、1976(昭和51)年に5坪の借店舗での操業から始まり、福井県産100%使用で知られる、株式会社ライズの『北陸米処の 福井米30kg(10kg×3)』。
そして、越前名物と言えば、越前名産工房による風味たっぷりの、越前そば粉8割の『二八越前そば』。
これからも長寿と末永い幸せを祈って...。
2014-06-02 |
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