軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第34回
8月24日日曜日に放送。
1586(天正14)年4月、豊後のキリシタン大名・大友宗麟は、かねてからの薩摩の島津義久の侵攻の阻止のため、大坂城へ出向いて豊臣秀吉(竹中直人)に謁見。 豊臣傘下に入ることと引き換えに、軍勢の支援を懇願した。
秀吉は了承。
7月に入り、官兵衛(岡田准一)は、長政(松坂桃李)に又兵衛(塚本高史)を付けて残し、3,000余の兵とともに出立。
しかし、島津義久の豊後への侵攻は、相変わらずだった。
この度の出立と前後して、徳川の家臣・石川数正が豊臣に身を寄せた今こそ、徳川に軍勢を差し向けるべしとする三成(田中圭)に対して、官兵衛が異を唱えることとなったが、家康(寺尾聰)を戦わずに上洛させる手段として、秀吉は妹・朝日を家康の元に嫁がせることに。
7月に秀吉から毛利家への九州攻めの下知の届いたことに伴い、官兵衛は8月に安芸入り。
当主・毛利輝元(三浦孝太)と後見人の小早川隆景(鶴見唇吾)は応じる姿勢の反面、隆景の実兄・吉川元春(吉見一豊)だけは隠居と病身を理由に頑なに応じようとせず。
元春にすれば、これまで長きにわたる宿敵・大友と手を組むこと自体、武人として戦ってきた自身の誇りが許されないことに加え、毛利のために命を落とした清水宗治(宇梶剛士)はじめとする多くの武人への申し訳なさもあって...。
元春と対面した官兵衛は切り出した。
宗治が自らの命をもって毛利を守ったように、毛利のための命の使い方を示す時なのではと。
数日後、官兵衛の本陣に、元春が息子・元長に寄り添われて参上。
10月3日、黒田と毛利の軍勢は、九州へ。
同じ頃、大坂城では、秀吉の実母で大政所・なかを差し出されたことで気を許した家康が、秀吉に拝謁。
両者熟知の下、家康が豊臣の傘下に入る"演出"は、秀吉を百姓上がりと蔑む多くの古参の大名を、臣従させる効果をもたらすことに。
黒田と毛利が豊前・香春岳の麓に本陣を構えて間もなく、大友に迫る敵方の宇留津城を陥落。
家康が秀吉に拝謁した知らせの届いた効果からか、寝返りが続出し、島津は撤退へ。
やがて、秀吉の書状を携えた長政と又兵衛が到着。
書状には、戦の前に本領安堵を条件に敵将を帰順させることの旨が記されていた。
1586(天正14)年11月15日、吉川元春は、出征先の豊前小倉城二の丸にて、静かに息を引き取った。
享年57歳。
豊後国か...。
キリシタン大名・大友宗麟のお膝元。
2013(平成25)年1月発売の『大航海時代のアジアと大友宗麟』(鹿毛敏夫 / 海鳥社)にあるように、戦国時代以来の九州は世界への玄関口そのもので...。
最盛期には九州六ヶ国に版図を拡げたものの、「キリシタン王国」創立間近で島津義久に勢力を強められ、晩年には秀吉の傘下の一大名までに、豊後一国までに衰退。
1587(天正15)年5月6日、大友宗麟永眠。
それから長きにわたる歳月が流れて、
大友宗麟の霊名にあやかって、ヨーロッパ産アーモンドペーストを使ったクレームダマンドの生地と、甘酸っぱいブルーベリーに甘いメロンを隠し味に煉り込んだ 自家製ブルーベリージャムと、角切りにしたリンゴ入りジャムを重ねて焼き上げた、大分の南蛮銘菓が...。
それは、2014世界モンドセレクションで12年連続最高金賞を受賞した『ドン・フランシスコ』。
そして、
独自の風味、ホクホク感を出すために香ばしい焼栗をふんだんに使い、しっとり風味の良い餡を入れました。
皮にはミルクをたっぷり入れ、香りふくよかに焼き上げた南蛮銘菓で、2003世界モンドセレクション最高金賞を受賞した、『ペトロ岐部詰め合わせ』。
素晴らしい。
2014-06-06 |
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