富岡製糸場 世界遺産 理由
これは嬉しいや。
政府による昨年2013(平成25)年からの推薦が、とうとう...。
カタールの首都ドーハにて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)主催の第38回世界遺産委員会で、日本が推薦していた「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県富岡市)を世界文化遺産に登録するとの決定か...。
国内の世界文化遺産は昨年2013(平成25)年に登録された富士山に続き14件目。
自然遺産を含めると18件目。
正式登録は、委員会最終日の6月25日水曜日。
近代の産業遺産が登録されるのは初めてなんだよなあ。
今年2014(平成26)年に入って、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(コモス)は、「世界の絹産業の革新に決定的役割を果たした」として登録を勧告。やがて審査において、日本を除く20カ国中18の委員国が「産業遺産の素晴らしい例だ」などと登録への賛意を表明へ。
決め手となったユネスコによる評価は、「フランスから移転した技術で伝統的な養蚕を発展させ、世界をリードした。生糸の大量生産の優れた見本で、和洋折衷の独特な様式の建物も貴重だ」とのこと。
その群馬県の富岡製糸場(富岡市)とは、1872(明治5)年に明治政府が西洋の技術を導入して建設した当時世界最大規模の器械製糸場。
現在も、木骨レンガ造の繰糸場などの生産設備がほぼ完全に残っているのが実情。
遺産はこのほか近代養蚕農家の原型とされる「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)、自然の冷気で蚕の卵を貯蔵した「荒船風穴」(下仁田町)、養蚕技術の教育機関「高山社跡」(藤岡市)の計4カ所で構成。
すべては、1987(平成元)年に富岡製糸場を操業停止した片倉工業による、長きにわたる尽力あってのことか。
官営による操業開始当時のままの姿で、1893(明治26)年に三井家、1902(明治35)年に原合名会社、1939(昭和14)年に片倉工業へと経営が移行して...。
建物の歴史の深みには、感慨深さを実感してしまうもの。
何よりも、2005(平成17)年に富岡市に寄贈するまで、「売らない、貸さない、壊さない」の3原則を重視した維持管理には、まさに敬服。
3月8日土曜日発売の『富岡製糸場と絹産業遺産群』(今井幹夫 / ベストセラーズ)を、改めて目を通してみようかなあ。
そして、蔵元でしか飲めなかった生酒が売りの『高橋与商店』による、富岡製糸場つながりの群馬県産地酒720ml3本分を、時折祝福と祈りの気持ちで嗜むのもいいや。
まず、『聖徳銘釀』のうち、辛口でキリっとした味わいの吟醸酒で、精白歩合50%・日本酒度+5の「赤れんが姫 吟醸」。
しっかりとした味わいの純米酒で、精白歩合60%・日本酒度+3の「富岡製糸場 特別純米酒」。
『土田酒造』で、スローフードジャパン燗酒コンテスト2013「お値打ち燗酒・ぬる燗部門」において金賞受賞したお酒で、精白歩合60%・日本酒度+2の「誉国光 ぐんまちゃんラベル」。
新たに増えた日本の宝・世界の宝に、幸あれ!
2014-06-21 |
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