軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第49回
12月7日日曜日に放送。
1600(慶長5)年8月、徳川家康(寺尾聰)を総大将とする東軍は、23日に岐阜、24日に美濃赤坂へと進軍。
その美濃赤坂の陣にて、小早川秀秋(浅利陽介)の側近の平岡頼勝が、長政(松坂桃李)と又兵衛(塚本高史)と一成(小林ユウキチ)を訪ねており...。
頼勝の携えたおね(黒木瞳)からの書状には、秀秋が三成と家康の狭間で揺れている旨が記されており、最後の決断は自身ですることを秀秋に伝えたとのこと。
頼勝は、秀秋を説き伏せる旨を伝えて、陣を後にした。
この時の家康は、江戸城に滞留し、東軍に属する各大名への書状をしたためる中、軍を先導する井伊直政(東幹久)からの知らせを待っていた。
一方、豊前中津城の留守居に残っていた黒田如水(岡田准一)は、これまで蓄えた金銀を放出して浪人3,600人余を集め、さらに留守兵に加えて領内の百姓や商人を動員して掻き集めて、約9千人余の軍を編成するまでに...。
そして9月9日、豊後国に進軍を開始した。
一方、大友家再興を目指す大友義統(増田修一朗)は、すでに9月8日の夜に瀬戸内海を渡り、富来城と安岐城の間に着岸、夜が明けないうちに木付沖を南下して高崎に上陸。
そして9日の朝、義統は立石に布陣し、大友氏ゆかりの旧家臣の集結へ。
ただ、義統の家臣の吉弘統幸だけは、徳川につくよう義統に進言したたものの、容れられないことに、葛藤していた。
なお、この立石の東には海、西には鶴見岳、南には朝見川に深い渓谷、すなわち天然の要害における布陣だった。
そして、立石の北側には、石垣原という荒野が...。
黒田本隊は、宇佐高森城、高田城の陥落を経て、10日に赤根峠を越えて国東に進出し富来城を包囲へ。
ところが、丹後宮津城主の細川忠興に飛び地として与えられた杵築城を、大友軍が攻撃。
やむを得ず黒田軍は攻撃予定であった富来城を後回し、如水ら少数が抑えに留まる中、井上九郎右衛門(高橋一生)が本隊を率いて、12日には安岐城を攻め、13日に打って出てきた熊谷軍を撃破し、杵築城の救援へ。
黒田本隊の迫撃を知った大友軍は、統幸に本隊を率いさせて迎撃へ。
そして石垣原で激突、世に言う"石垣原の戦い"となった。
統幸は釣り野伏せ戦術を使っての鉄砲隊の攻勢で、母里太兵衛(速水もこみち)率いる黒田軍の先鋒隊に大損害。
特に、統幸自身、かつての朝鮮出兵で明将・李如松の軍旗を奪った功により、亡き秀吉(竹中直人)から「無双の槍使い」と賞讃され一対の朱柄の槍を許されていた豪傑にふさわしく、得意の槍を振るっては、小田九朗左衛門ら30人から40人までも討ち取ったとされるほどの獅子奮迅の活躍だった。
黒田勢を相手に優位に戦を進めた統幸だったが、如水率いる軍勢がいつ到着するかわからないという戦況ゆえに、全体の士気が振るわず、次第に大友勢が劣勢に。
統幸は主君・義統に別れを告げ、残りの手勢30余騎で黒田勢に突撃。
そして、七つ石において旧知の間柄にあった九郎右衛門との一騎討ちへ。
果てしなき戦いの末、九郎右衛門の太刀が、統幸を貫いた。
そして、九郎右衛門に武功を挙げさせるために、統幸は介錯を願い出て...。
統幸の討死により大友勢は事実上壊滅へ...。
剃髪した義統は太兵衛を通じて、如水に降伏。 蟄居を経て、常陸国宍戸に流罪に処されることに...。
一方、徳川方の美濃赤坂の陣に対峙する三成の居城・佐和山城では、数において勝るものの、足並みの乱れが表面化しつつあって...。
西軍の総大将となる毛利輝元(三浦孝太)は、増田長盛(有薗芳記)に謀反の疑いありとのことから、秀頼君をお守りしたいと、大坂にとどまったまま。
毛利勢は、輝元が総大将であることを理由に、先鋒としての出陣に強く反発。
徳川方が包囲網を狭める中、言いようのない不協和音のまま、軍勢を二手に分けて、三成の軍勢は笹塚山に本陣を置くことに。
直政(東幹久)からの戦の体制の万全さを記された書状により、すでに本隊に加わった東軍の総大将・家康は、桃配山に本陣を構えた。
そして、長政の家臣の毛屋主水による、西軍10万余のうち見立て3万余、すなわち石田・小西・宇喜多の軍勢のみがまとまり、残りは両軍へ様子見などによる足並みの乱れゆえ、寝返りの可能性ありとの知らせに、家康は働きぶりを讃え、意気揚々に。
天下分け目の大戦は、刻々と迫りつつあった。
この第49回では、"西の関ヶ原の戦い"こと"石垣原の戦い"が...。
九郎右衛門の奮闘ぶりが観られることに...。
合戦の行われた豊後国速見郡石垣原は県中部に位置し、美しく豊かな自然に囲まれた土地ゆえに、美味しいものがいっぱい。
そして現在は、温泉湧出量日本一を誇る大分県別府市に吸収合併へ...。
合戦で亡くなった多くの兵に想いを馳せて、熊本藩士となった子孫によって大分県別府市にある吉弘神社へと祀られることとなった吉弘統幸に想いを馳せて、心して戴くとしようかな。
2010(平成22)年8月に大分県別府市で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の晩餐会で振る舞われた名酒、すなわち鹿児島県の薩摩半島西部の吹上浜の中心部の吹上町にて、1890(明治23)年創業の歴史のある蔵・原口酒造の『芋焼酎 長寿院 25° 1800ml』は、じっくりと嗜んでみたいな。
肴としては、いろいろありそう...。
別府市で1952(昭和27)年より創業の「かるかん堂 中村家」からの観光土産としても人気の和菓子で、豊後梅と柚子の香り広がる『かるかん堂 中村家 可憐 12枚入』が...。
大友軍の渡ることとなった豊後水道からは、『海鮮一夜干しギフトセット』[豊後鯛一夜干し 1枚・真アジ開き一夜干し 1P(4尾)・カマス一夜干し 1枚・真イカ一夜干し 1枚・イワシ丸干し 1P(10尾)・ツボ鯛一夜干し 1枚]が...。
解凍・開封したら、そのまま揚げるだけで、自宅で簡単に堪能できる大分名物とり天は、『大分名物 焼肉屋さんのとり天 大容量1kg(使い易い200g×5)(かぼすポン酢・からし付)』。
さっぱりポン酢で女性に大人気という。
焼肉激戦区大分一繁盛店からは、『炭火焼肉韓国苑 自家製牛辛麺 ギフトセット 8食入り』が...。
あと残り1回か...。
心して最後まで観ることにしようっと。
2014-10-20 |
共通テーマ:日記・雑感 |
nice!(0) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0