花燃ゆ あらすじ ネタバレ 第7回
2月15日日曜日に放送。
野山獄での高須久子(井川遥)と富永有隣(本田博太郎)からの寅次郎(伊勢谷友介)への想いを察した文(井上真央)は、出獄できる方法はないものかと梅太郎(原田泰造)に相談。
梅太郎は気持ちを理解しつつも、やや難色気味。 浮かない顔のまま梅太郎と文が寅次郎のために書物を届けに野山獄へ出向いたところ、中庭では寅次郎が獄囚を集めて『孟子』の講義の真っ只中。
寅次郎の講義は、一方的な教えではなく、教える側と教わる側による議論と分かち合いだった。
活き活きとした様子に当惑したまま梅太郎が寅次郎に面会、寅次郎から『福堂策』という建白書を手渡されてさらに驚かれされることに。
そこに記されているのは、当時のメリケン(アメリカ)の獄のあり方が理想に近いということ。 獄囚による自治、学芸の奨励、医師の回診、といった当時としては画期的な取り組みへの要望が...。
いかなる罪人でも、学びへの気持ちと取り組みがあれば、生まれ変わることができるという想いに、梅太郎は言葉にならなかった。
一方の文は、獄司・福川犀之助(田中要次)の部屋で、久子に相談。
かつては三百石取りの大組の奥方だった久子が口にするには、殿方の決めたことは簡単に覆らないこと、表向きは一つにまとまっていても、裏では疎んじあっていることもしばしばで、そこから殿方の味方を見つけることが、打開策の一つであるとか。
すぐさま伊之助(大沢たかお)の顔の浮かんだ文は、梅太郎が寅次郎のまとめた『福堂策』を入手したことを知るなり、皆の寝静まった夜中を見計らって、秘かに『福堂策』の書き写し。 数日で書き上げてすぐに、明倫館の伊之助に手渡すことに。
それから数日後の江戸・長州藩邸には、相模での造船術の習得を終えた桂小五郎(東山紀之)が帰着していた。
寅次郎の学友・来原良蔵(松本実)から伊之助の文を手渡されて、封を開けて目を通すこととなった小五郎は、『福堂策』に感銘。 伊之助の明倫館での『福堂策』を広める動きに心動かされて、江戸に出て以来より関わりのある水戸藩士たちへの働きかけへ。
寅次郎を獄から出すために奔走する熱い夏がかけめぐり...。
秋の萩城では、『福堂策』を目にした水戸徳川家から寅次郎の沙汰が重すぎるという声があることを、周布政之助(石丸幹二)から藩主・敬親(北大路欣也)へ進言。 当然のごとく椋梨藤太(内藤剛志)は家中に示しがつかないと反対。
そのまま明倫館へ足を運んだ藤太は、『福堂策』の経緯を伊之助に伝えて、立場の強き者に付くことも自身の考えを押し通す方法であると牽制して...。
杉家には、寿(優香)が『福堂策』の一件を耳にしたことで怒鳴り込み。
藤太から睨まれて夫・伊之助の立場が危うくなったらどうするのかと、文が責められる中、慌ただしく戻ってきた梅太郎が、自身の登城を命じられたことを伝えて、文は不安を強めることに。
登城した梅太郎は、家中の者から奥へと導かれた後、一人で進むよう命じられた。
進んだ先の入った奥の間は茶室で、何と藩主・敬親が茶を点てており...。
下田での密航騒動で漂着した寅次郎の積荷のうち、幕府で処分される直前に頼み込んで、あの兵学講義の褒美として与えた小太刀を取り戻したという。
敬親から袱紗に包まれた小太刀を寅次郎に渡すよう託された梅太郎は、最後は寅次郎自身の決断である旨を伝えられて平伏。
戻った梅太郎は、寅次郎の杉家における蟄居の沙汰の下ったことを伝えた。
ほぼ同じ頃、伊之助は藤太の屋敷に招かれていた。
藤太の奥方・美鶴(若村麻由美)の酌を受けながら、伊之助はこの度の寅次郎への温情ある沙汰の礼を藤太に伝えていて...。
伊之助は寅次郎ために、藤太の下に付いていた。
藤太は、敬親の温情に理解を示しつつも、刀となって周囲を翻弄する寅次郎の鞘になる必要のあることを、伊之助に伝えた。
ところが、意外なことに、寅次郎は出獄を拒んでおり...。
獄から人を善に導く福堂とするために生涯とどまり続ける決意をもって『福堂策』をまとめ上げたのに、出獄したら、すべて絵空事になってしまうことが理由とのこと。
気がかりな父・百合之助(長塚京三)が野山獄に出向いたところ、それぞれの房の獄囚が寅次郎の出獄への抗議から、格子を強く叩いた。
数日を経ての美しい冬の日、俳人を気取る吉村善作の催しによる句会。
獄j囚の句は、いずれも寅次郎の出獄への複雑な気持ちを抱きつつも、感謝の気持ちを詠ったものだった。
その中の一人の大老老人は、学んだことを世に出て活かせなければ福堂の意味をなさないと、寅次郎を送り出す旨を伝えた。
すべては、有隣と久子の示し合せた流れだった。
夜明け前の中庭の井戸端で髪を抄く久子と寅次郎は、思うことを語り合った。
寅次郎は不思議な夢の話をした。
暗闇を歩いていると、突然光が舞い降りて、「二十一」の文字になるということを。
それはすべて、これまで育った吉田と杉のそれぞれの文字が「二十一」によって成り立つという不思議さを。
名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、これらを合わせた数字が「二十一」。
また、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」。
久子は、学者でなければ、子供のようだと笑うだけだった。
寅次郎出獄の朝を迎えた。
文は久子と対面。
人は身勝手で悲しい生き物だから、出逢いがすべて幸せとは限らないこと、それでも自分として生きていくしかないことを伝える久子に対して、文は兄や獄囚たちのように嬉しいことも苦しいことも分かち合いたいから、こわくないと明るかった。
獄司・福川はじめ久子と有隣と獄囚たちの温かいまなざしを背に受けて、野山獄を後にした寅次郎は、出迎えに来た文と伊之助とともに家路へ。
寅次郎は「二十一」の夢を二人に語り、脱退、建白書、密航、と三回を実行したから、残り十八回を何かを成したいと口にした。
伊之助から「二十一回猛士か」と苦笑されながらも、寅次郎は前へ進んでゆく。
殺伐や虚無などに覆われる中でも、明るい働きかけがあれば、光が差し込んでくる。
そのような実感を抱きたくなる物語の展開だった。
ふと思い出した。
1月11日日曜日放送の第2回で、寅次郎の脱藩が杉家を賑わしていた時に、文が重苦しい雰囲気をを和らげようと節句餅を振る舞ったことを。
それに近いかのような感触かなあ。
野山獄では、学びのみならず、何らかの差し入れでもあったんだろうか?
後年の明治期より多く育てられ山口県萩市の特産品となった夏みかんの皮と夏みかん風味のクリーム、職人が試行錯誤して生まれたふわふわもちもちな生地による美味しさいっぱいの【夏みかんまんじゅう 萩小町16個入】、【夏みかんまんじゅう 萩小町12個入】、【夏みかんまんじゅう 萩小町8個入】のような...。
城下町や武家屋敷とともにある、萩の情緒と風景を感じさせながら口にするのも、夢心地そのもの。
これも、1871年12月23日(明治4年11月12日)から1873(明治6)年9月13日までの岩倉使節団による賜物の一つなのか、「文明開化」「和洋折衷」「和魂洋才」「洋化政策」といった言葉の交錯の中でも、独自性を磨き上げて作り上げていったんだろうなあ。
夏みかんの果実がたっぷりながらの甘さ控えめのほろにがスィーツ【萩・JAの夏みかんゼリー6個箱入】しかり。
頭は「山」、顔は「口」、名前は山口弁の語尾に使われる「~ちょる」、すなわち山口県の山の奥で生まれた妖精として、山口県PRキャラクターのかわいい「ちょるる」の顔入りクッキー【ちょるる夏みかんクッキー 24枚入】しかり。
やさしい味の玉子せんべいに、萩産夏みかんの果汁を使った甘酸っぱいクリームをサンド、「ちょるる」の焼き印入りの【山口ちょるるのクリームサンド 20枚入】しかり。
長州藩そして山口県から多くの人たちに光の差し込めることを祈って....。
2015-01-02 |
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