花燃ゆ あらすじ ネタバレ 第37回
9月13日日曜日に放送。
幕府の権威の弱体化に伴い、農村では百姓一揆、市街地では打ちこわし、方々の志士たちによる武力倒幕をめぐる動き、それぞれが強まってきたことあって、幕府方と諸藩それぞれの思惑の交錯が加速化する中でのこと...。
1867(慶応3)年10月14日、第15代将軍・徳川慶喜(森慎太郎)は、諸侯を京の二条城へ集結。
政権の朝廷への返上、すなわち"大政奉還"を宣言。
しかしながら、あの"八月十八日の政変"に端を発した"池田屋事件"さらに"禁門の変"に至るいきさつゆえ、幕府から朝敵の烙印を押された上に、異国船からの砲撃や征長軍による包囲といった、あらゆる逆境をかいくぐってきた長州藩としては、複雑な思いが渦巻くだけ。
最大の懸念は、政権を朝廷に返上しても、この時点における慶喜が征夷大将軍職を辞しておらず、引き続き諸藩への軍事指揮権を有していたこと。
それから1か月過ぎた11月15日、京の近江屋にて、坂本龍馬(伊原剛志)暗殺。
大政奉還を裏で推し進めて、この月初めに朝廷と幕府と諸藩の垣根を超えた「新政府綱領八策」を起草、具体化に向けて走り始めた矢先のことだった。
幸か不幸か、龍馬暗殺は武力倒幕派を勢いづかせることになって...。
薩摩藩の西郷吉之助(宅間孝行)は武力倒幕派の公家と謀って、有志への工作を開始。
12月9日、薩摩・芸州・尾張・越前に宮中警護のための出兵命令。 これら4藩兵と会津・桑名兵による宮中警護交替に伴い、王政復古の大号令発布。
明けて1868(慶応4)年1月3日、武力倒幕派による謀略打破を目的に、慶喜を総大将とする大坂の旧幕府軍が上京を開始。 それに伴い、幕府の先鋒隊と薩長の守備隊が衝突。
鳥羽・伏見の戦い、世に言う戊辰戦争の幕が切って落とされることになった。
小田村伊之助改め楫取素彦(大沢たかお)と桂小五郎改め木戸貫治(東山紀之)は、新時代の到来に向けて戦に挑む勢い。
結果は、錦の御旗を掲げた新政府軍の圧勝だった。
旧幕府軍は総崩れとなって方々へ退散し、慶喜はわずかながらの側近とともに、秘かに大坂を脱出して軍艦「開陽丸」に搭乗、江戸へ退去してしまった。
新政府軍は江戸に向けての追撃を開始、江戸城総攻撃の陣を構えた。
しかし、3月中旬の西郷と勝海舟との会談が成立。 新政府軍への江戸城明け渡しが実現することに。
いよいよ明治維新へ...。
失礼ながら、あの2010(平成22)年1月3日日曜日より放送の大友啓史チーフ演出・福山雅治主演のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の重厚感ある展開が、未だに強く印象に残ってしまう。
ハイウッド仕込みの演出手法に見られるプログレッシブ・カメラや長回しの斬新かつ新鮮さも理由の一つだけど、いわゆる幕末の黒船来航から明治維新に至るまでの政治的な動向と人間模様に関しては、佐幕派か倒幕派かの二者択一を気になってしまいがちだったことが、大きかったからかもしれない。
あの暗殺直前までの「新政府綱領八策」の起草と具体化に向けての動き...。
もしも、明治新政府に活かされることになっていたら、維新後10年間にわたる動乱は最小限で済んだのではないか、といった希望的観測を抱いてしまって...。
未だに、ふと思っしまう。
現代において、坂本龍馬と同じ素質を持った人物が、佐幕派でも倒幕派でもない第三の道を模索かつ実現できる人物が...。
一体どれだけいるんだろうか?
想いを馳せてみようかな。
書籍ならば、手紙をはじめとする書簡として、2003(平成15)年12月中旬発売の『龍馬の手紙 坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草』(坂本龍馬・宮地佐一郎/講談社)。
営業論として、2007(平成19)年6月発売の『もし、坂本龍馬が営業マンだったら』(桑原正守/ダイヤモンド社)。
折しも、11月に差し掛かれば学園祭の時期ということもあって、男性ならば【坂本龍馬 紋付き着物・羽織セット】。
女性ならば、【幕末Rock風 坂本龍馬 コスプレ衣装】。
【模造刀 維新の志士 坂本龍馬 赤石目拵え 大小・刀掛台セット】を手にしながら...。
【坂本龍馬維新志士Tシャツ】は、冬時の場合アンダーウェアとすれば、強い心が高まるかも???
新たに実現することへの想いを馳せて献杯するなら、【司牡丹 船中八策 純米 1800ml】が一番かなあ。
【龍馬の國 土佐伝統製法 完全ワラ焼き鰹タタキ「龍馬タタキ」 3kg】を肴にして...。
時には、【龍馬の思い エヘンの手紙15コ入】を口にしながら...。
2015-07-20 |
共通テーマ:日記・雑感 |
nice!(0) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0