花燃ゆ あらすじ ネタバレ 第39回
9月27日日曜日に放送。
1871(明治4)年7月14日、明治政府は中央集権体制のさらなる強化のため、在東京の知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じた。
あの王政復古に次ぐ第2のクーデターとして、全国は大揺れに。
長州藩の毛利元徳(三浦貴大)は知藩事を免官されて東京へ移り、政府から県令が派遣されるのに伴って、奥御殿は閉じられることになり、多くが下野することに。
美和(井上真央)は杉家に戻って、農作業の日々。
楫取素彦(大沢たかお)も小田村家に戻って、農作業の日々。
そんなある日のこと、奇兵隊士だった中原復亮(堀井新太)が、素彦を訪ねて来た。
復亮は、奇兵隊解隊後の自身の身の振り方に関して、悶々としているかのようだった。
素彦は復亮の行く末を案じて、相談に乗ることに。
※廃藩置県後の農村の多くの貧しい人たちを
明治維新後の代償なのか、いわゆる賊軍とされた佐幕派の多くの人たちの行く末も他人事ではないのと同じように、官軍とされた倒幕派の多くの人たちも、佐幕派同様、時代の荒波に翻弄されて...。
長州藩では、奇兵隊解隊後に勃発した"脱隊騒動"が追い討ちをかけることになったのか、再び貧しい農村の暮らし、あの身分の低さゆえに蔑まれがちになって、心身ともに荒んでしまいそうな日々が...。
そんな中で目にすることになった、7月17日金曜日に発売された『馬関でまっちょるそ 益っさんから平和のバトンをー会津とともにー』(平井優子/梓書院)は、これからの多くの長州の人たちを、勇気づけることになったのかもしれないや。
執筆したのは、明治維新十傑の一人に数えられる大村益次郎を"益っさん"と呼ぶほど仲の良い従兄弟で、戊辰戦争勃発で軍医として駆り出されるも、会津に散ることになった吉富玄禎の玄孫・平井優子。
亡き玄禎から平和のバトンを受け継いだ義兄・山本瑳企が、世のため人のため、食品の研究開発と販売に尽力した生涯に関して描かれていて...。
幕末・明治、大正、昭和と、先祖のことを本にしたいと執筆し続けた『ボーフラ日記』の完成真直に91歳で他界した瑳企の想いを受け継ぐ形で、孫・優子の角度から原稿を書き続けたという。
さすが、防長の人たちのエネルギーを受け継いできただけに、時代を懸命に生きようとする懐かしいほど愛すべき防長の人たちほか、昔の日本人たちが大切にしていたものの見事な描写ぶり...。
この回では、中原復亮の身の振り方が描かれることになる中、思わず気になってしまった。
復亮を演じる堀井新太の出演した、2014(平成26)年9月29日月曜日より放送開始のNHK朝ドラ『マッサン』を...。
2015(平成27)年1月19日月曜日より放送の第16週からの登場で、戊辰戦争敗戦で逆賊とされた元会津藩士として、追われるように北海道・余市に渡って余市に居を構えたニシン漁師網元・森野熊虎(風間杜夫)の息子・一馬を繊細に演じることになって...。
母や家族に迷惑をかけ博打的な生き様をする父を嫌っての叔父の農園の手伝い、家族を思う父の本心を知っての和解、直後に開業した亀山政春(玉山鉄二)のウィスキー工場勤務、戦時下における政春の養女・エマ(優希美青)との悲恋が...。
まさに波瀾万丈の生涯で、先の"益っさん"と同じく、"逆境を生き抜く底力"を存分に垣間見るかのような展開が...。
失礼ながら、明治維新の立役者の長州藩ですら、向こう最低10年間以上は貧しかったことを、なかなか想像しづらいのは、やはり日本人特有の"判官贔屓"ゆえに、終焉の幕府の捨石(?)になる形での会津藩はじめとする東北諸藩に気持ちが傾きがちになってしまうせいなのかなあ。
かの"逆境を生き抜く底力"をもって、少しずつ克服するかのように生み出すこととなった特産品と言えば、
山口県下関市幸町の「うに甚本舗」の【うに甚のうに 赤間うに・関のうに詰合せ】...。
1830(天保元)年に周防国柳井の地に「佐川醸造」として創業し、その後現在まで山口県柳井市を代表する甘露醤油としての「佐川醤油店」の【柳井名産 甘露しょうゆとゴマふりかけの詰め合わせセット】...。
食事の度にじっくりと味わってみたい。
多くの長州の人たちに想いを馳せながら...。
2015-08-20 |
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