真田丸 あらすじ ネタバレ 第2回
「決断」
1月17日日曜日に放送。
真田家の留守を預かる信幸(大泉洋)・信繁(堺雅人)兄弟は、重臣・小山田信茂(温水洋一)が城主の岩殿城を目指して落ちのびる途上の勝頼(平岳大)と遭遇。
家臣・小山田氏の一門である小山田有誠の子・茂誠(高木渉)に嫁いだ長姉・松(木村佳乃)を真田家に出戻りさせることの勧め、すなわち人質解放の旨を伝えられる。
信幸・信繁兄弟は勝頼に感謝。互いを思いやりつつも別れを告げて、わずかな手勢とともに、父・昌幸(草刈正雄)の待つ上野国の岩櫃城への逃避行へ。
岩殿城を真近にした勝頼だったが、城主である重臣・小山田信茂(温水洋一)の裏切りで道を阻まれてしまった。
急遽、武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指して進むものの、織田家武将・滝川一益(段田安則)からの追撃による敵の多さと野盗の危険から、木賊山の麓の田野村での潜伏を余儀なくされてしまう。
そして、かつての居城・新府城落城からほどない、1582(天正10)年3月11日、すでに察知の早い一益からの猛攻が開始。
世に言う、"天目山の戦い"は織田軍の圧勝に終わった。
勝頼は重臣・跡部勝資(稲荷卓央)の介錯により自害。 享年37歳。
これによって、約450年の歴史を誇る名門・甲斐武田氏は滅亡した。
一方、包囲網を狭める敵と野盗をかいくぐる信幸・信繁兄弟の元に、小山田家からの使者・八佐衛門が...。
信茂(温水洋一)から援軍を差し向けるゆえ、道案内するとの進言。
信幸・信繁兄弟は、多少の疑念を抱きつつも、周囲の野盗の多さへの警戒のあって、そのまま道案内に追従。 しかし、目指す方向の違いの察知するのに、時間はかからなかった。
そして、突然生け捕りしようとする八佐衛門が襲撃。
しかし、そこへ昌幸からの弓が八佐衛門の腕を射る。 八左衛門はそのまま退散。
ほぼ同じ頃、主君・勝頼を裏切った信茂(温水洋一)は、甲府・善光寺に布陣する織田信長(吉田鋼太郎)嫡男・信忠(玉置玲央)へ馳せ参じ忠誠を誓うものの、逆に主君を簡単に裏切る逆賊ゆえ信に値せぬとして斬首されてしまった。
信長と同盟を結ぶ徳川家康(内野聖陽)と参謀・本多正信(近藤正臣)は、武田家重臣・穴山梅雪(榎木孝明)を調略したものの、織田家と通じていることを秘かに察知。 不安を抱き始めていた。
新府城落城周辺の焦土を目の当たりにしただけに、確実となる織田家を頂点とする国の行く末に、末永く続くのか、と。
信幸・信繁兄弟は岩櫃城へ迎えられた。
早々より、軍議に加わることになったものの、肝心の昌幸は側近・高梨内記(中原丈雄)はじめほかの重臣に伺いを立ててでも慎重さを崩さないまま。
昌幸はふと、武田家亡き後には北条家か上杉家のどちらかに仕えるべきかを、信幸・信繁兄弟に尋ね、紙縒りくじで決を採ろうとする。
兄弟は呆れるも、真剣に考え抜いた。
昌幸が北条家と上杉家双方に通じていることを知る信繁はどちらでも構わないとの考え。
逆に信幸は敵対する上杉家であれ、織田家に臣従間もない北条家であれ、織田家との戦は避けられないゆえ、第三の道を採るべきと主張。
兄弟の膠着の長引く中、昌幸は唐突に織田家に仕えることを主張する。
誰もが唖然としていた。
第2回にて、武田勝頼のあっけない最期...。
江戸時代初期までの真田家の物語を重視する以上、無情にも物語の早目の進展を余儀なくされてしまうものの...。
やはり、偉大なる先代・武田信玄の影に隠れがちゆえに、武田氏滅亡を招いたとする否定的評価や、悲劇の当主とする肯定的評価など相対する評価が、否応なく耳に入ってしまうもので...。
武田氏研究においても単独のテーマとしては扱われることが少なかったものの、近年では新府城の発掘調査を契機とした勝頼政権の外交政策や内政、人物像など多様な研究が行われているとか...。
この年2月発売の『業海禅師 武田勝頼が最期に向かった天目山』(日野四郎/山梨ふるさと文)を、じっくりと目を通してみようかなあ。
最期に至るまでの心境のありのまま、何があっても生き抜くという想いに触れるためにも...。
同時に、じっくりと味わってみたくなった。
山梨県甲州市塩山藤木の「信玄食品」逸品として知られる、かけて混ぜるだけの『ほたてごはんの素』・『あわびごはんの素』・『鯛ごはんの素 刻み小梅入り』[各お茶碗2膳分(1合約330g)X2個入]の【混ぜご飯の素 3種セット】を...。
太平洋側と日本海側を制して塩を確保することで、甲斐国を発展そして充実させたかった信玄公の想いは、「信玄食品」によって晴れて実現することになったのかなあ。
2015-12-01 |
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