松岡茉優 真田丸 信繁 正室 春 竹林院
「大河への出演は目標でした。(脚本の)三谷(幸喜)さんとご一緒するのは野望でした。 自分ができ得るすべてをかけて挑戦させていただきます」
本人の口にする、"自分ができ得るすべてをかけての挑戦"、最後まで見届けたいな。
時代劇としての出演は、2回目か...。
まず、振り返ること、2014(平成26)年4月10日木曜日から6月5日木曜日までの全9回放送のNHK木曜時代劇『銀二貫』...。
幼少期担当の天才子役として大注目の芦田愛菜から引き継ぐ形で5月1日木曜日放送の第4回より登場した、主人公の寒天問屋『井川屋』の丁稚・松吉(林遣都)の想い人・真帆の姿が...。
船越町の料理屋『真帆屋』を営む嘉平(ほっしゃん。)の愛娘で、10歳の松吉との出逢い以来、ままごと遊びするなど天真爛漫の傍ら、寒天の価値に気づかせるなどの利発さで松吉を癒やしたも束の間、"天明3年の大火"ですべて失ってしまい、松吉と離れ離れに...。
同じ大火で遭遇し、愛娘・おてつを失った悲しみのあまり、養母となるお広(映美くらら)のため、おてつになり切り、お広が営む団子の屋台見世を手伝い、以後もおてつとして生きていくことを『井川屋』の面々に宣言。
その帰り道、松吉に、父が求めていた「倍の腰のある寒天」を作るよう願って別れる姿には、涙...。
さらに、終盤でも涙、となって...。
当時からさかのぼること、2013(平成25)年4月1日月曜日より放送開始早々、社会現象となったNHK朝ドラ『あまちゃん』で演じた、ヤンキーあがり(?)の埼玉県出身GMTリーダー・入間しおりと大違いの清楚さからは、目を見張るくらいに...。
2016(平成28)年、2回目の時代劇出演は、三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『真田丸』...。
演じるは、豊臣秀吉(小日向文世)の直臣・大谷吉継(片岡愛之助)の娘で、やがて主人公・真田信繁(堺雅人)の正室となる春。
生年不詳。 信繁が真田家の人質として秀吉の下に遣わされていたゆえの、秀吉の上意による政略結婚、有力奉行である吉継と縁者との結びつきは真田家の豊臣政権下の基盤強化に貢献したという。
それゆえに、政略にまつわる要素がなかったとは言え、信繁は次第に心の底から春に惹かれていったのではないか、といった描写が気になるところで...。
やがて、嫡男の大助(真田幸昌)・次男の大八(片倉守信)・6女の阿菖蒲(片倉定広室)・7女のおかね(石川貞清室)らの母に...。
なお、嫁いだ時期は、父・吉継が病に伏し政権離脱したとみられる1594(文禄3)年頃以前の天正年間か、秀吉の全国統一の決め手となった小田原征伐前後とも...。
1600(慶長5)年、天下分け目の"関ヶ原の戦い"で、父・吉継と夫・信繁が石田三成(山本耕史)束ねる西軍に付くに伴い、義父・真田昌幸(草刈正雄)の正室・薫(高畑淳子)とともにに吉継の保護。 敗れた後に、信繁に随行して九度山(和歌山県九度山町)に幽閉。
九度山での生活は厳しかったらしく、伝承では彼女自ら上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案したとされ、家臣たちに行商させて、生計を支えていたとか...。
徳川方の監視の厳しい中、九度山で長男と次男を出産、さらにほかの側室の子も引き取って養育しており、家庭的には恵まれていたとも...。
1614(慶長19)年の"大阪冬の陣"では夫と共に大坂城内に拝領した屋敷に。
しかし、1615(慶長20)年5月7日に"大坂夏の陣"で信繁が討死。 子女を連れて大坂城から落ち延びるも、徳川家康(内野聖陽)に命じられた紀伊藩主・浅野長晟の探索により、5月19日に紀伊伊都郡にて、娘・あぐりと3人の侍に警護されて隠れていたところを発見。 5月20日に京の家康に引き渡しへ。
信繁が秀頼から拝領し大坂入城直前に渡たされていた来国俊の脇差と黄金57枚は没収、長晟に下賜されてしまうものの、赦免され剃髪。 竹林院に改名。
以後は、石川貞清に嫁いでいたおかねの保護を受けたらしく、その後は京での暮らし...。
1649(慶安2)年5月18日に京にて永眠。
墓所は臨済宗妙心寺塔頭大珠院に、信繁、幸昌ともに...。
これは、最終回まで魅せてくれるはずだろうなあ。
初登場は、7月3日日曜日放送の第26回か...。
戦国乱世の名残を引きずる日々あって、『銀二貫』での"真帆=おてつ"以上に魅せてくれる予感の高まり...。
これは待ちきれない。
2016-03-10 |
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