真田丸 あらすじ ネタバレ 第24回
「滅亡」
6月19日日曜日に放送。
対面した江雪斎(山西惇)に導かれ、秘かに小田原城内を進む信繁(堺雅人)は、抗戦派の兵からの襲来。 佐助(藤井隆)の引き付けに乗じて、さらに先へ進むも束の間、ついに囲まれてしまった。
信繁は万事休すと覚悟。 と思いきや、突然引きずり込まれて、暗い蔵へ...。
小山田茂誠(高木渉)だった。 あの別れ以来、小山田家の縁を頼りに北条家に拾われたという。
しばらく後に、信繁は江雪斎から手引きされ、氏政(高嶋政伸)のいる薄暗い部屋へ...。
氏政は恨み骨髄で信繁を糾弾。 天井裏に佐助の潜む下とあって、冷静な信繁は、真田としてではなく豊臣の使者としての参上と、信繁は切に訴える。
しかし、明確な答のないまま..。
再び蔵へ戻った信繁は、茂誠に妻・松(木村佳乃)の無事を知らせて安堵させる。 そこで、鉄砲の弾丸をつくる鉛の入った箱の山積みを目の当たりにして...。
しかも、秀吉(小日向文世)の本陣隣の千利休(桂文枝)の出店で、茶々(竹内結子)に買い与えた扇子の刻印と同じ...。
信繁には言いようのない不吉な予感が...。
やがて領国内の相次いでの落城。 ますます追い詰められた北条家は、1590(天正18)年7月5日、ついに降伏。
しかしながら、無情にも信繁と家康(内野聖陽)の尽力の甲斐なく、秀吉からの下知により、7月11日、氏政は切腹した。 享年53歳。
氏直(細田善彦)には、高野山追放の下知...。
一方、前日7月11日、八王子城陥落後の昌幸(草刈正雄)は、秀吉の下知により、三成(山本耕史)が総大将の忍城攻略の本陣に到着...。
6月16日以来、長きにわたって攻めあぐねる三成の焦燥を察し、昌幸は卑怯な手を使うと断りの上、氏政の血のついていない兜を敵に見せつけ忍城を見捨てたと喧伝。 7月16日、忍城無血開城へ導く。
こうして"忍城の戦い"は終わった。
信幸(大泉洋)は、まんざらでもない昌幸の表情に、武士(もののふ)の血の再度の沸騰を実感。
昌幸は、伊達家はじめ、東北諸国と上杉家と徳川家と組んでの大坂攻略を強く意識していた。
ところが...。
秀吉が7月26日に下野国宇都宮城に入城してからの"宇都宮仕置"を終えて間もない酒宴での、秀吉におもねる伊達政宗(長谷川朝晴)に、昌幸は落胆。
伊達家の処遇は、会津領召し上げのみだった。
宴が終わって、昌幸は落胆する家康の隣りへ。 新天地・江戸を、東国一の都にする意地を示した家康だったが、落胆は隠せなかった。
昌幸を意識した秀吉は、働きを賛え、家康の与力解任のほか、小県安堵と沼田返還を伝えると、上田にて徳川家から目を離さぬよう静かに忠告する。
秀吉の天下統一の瞬間だった。
いよいよ北条家と小田原城の終焉へ...。
小田原城といえば、JR小田原駅下りホーム前方左側に立つ小さな城の印象の強いものだったものの、"難攻不落堅固無双を誇った名城"、すなわち3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えたことを知ったのは、お恥ずかしながら、数年前のこと。
【童友社 <日本の名城> 1/350 小田原城 (スタンダード版)】を組み立てて、じっくりと魅入ってみようかなあ。
【書道家が書く漢字Tシャツ 小田原城 (黒) (赤)】を、身にまといながら...。
それぞれ創業100余年の『正栄堂菓子舗』の【菓子舗こだわりのお菓子 ふるさと納税 小田原宿 (銘菓詰合せ)】や『小田原わきや蒲鉾店』の【小田原城セット】も、じっくりと味わいながら...。
小田原を大切にしたい人たちのためにも、じっくり想いに浸ってるみようかなあ。
海・川・山と豊かな自然、温暖な気候風土に培われた城下町・小田原よ、永遠に...。
2016-05-10 |
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