真田丸 あらすじ ネタバレ 第27回
「不信」
7月10日日曜日に放送。
秀吉(小日向文世)と茶々(竹内結子)の第二子・拾誕生...。
「拾い子は丈夫に育つ」という言い伝えゆえの喜びに包まれる反面、関白・秀次(新納慎也)は次第に孤立へ...。
それでも、秀吉の心遣いによる信繁(堺雅人)の仕えあって、心強さを得た秀次は役目を必死でこなす傍ら、『源氏物語』の「宇治十帖」を全巻揃えるなど、学問や芸術にも尽力へ...。
そんなある日、秀次は日本を5つに分け、うち九州を先に拾に授けたいとの秀吉からの宣告。
秀次は、自分が将来拾を攻めぬよう秀吉が先手を打ったと予測し、恐怖のあまり動揺へ...。
一方、きり(長澤まさみ)は秀次への側室入りの申し出を信繁に告白。
しかし、めでたいこととして微笑む信繁に失望。 引き留めたい気持ちを言葉に出してほしかっただけに...。
その夜、信尹(栗原英雄)が京の昌幸(草刈正雄)を訪ねて来て...。
戦乱の世では諜りごとに明け暮れていた日々に反しての、活躍の場のない平穏な世を機に、見聞を広げようと諸国漫遊の旅の最中にあるとのことで...。
信尹との話し合いで、昌幸は秀吉と秀次がそのうちぶつかるとの予想...。
ある日きりは、寧(鈴木京香)から頼まれ、たか(岸井ゆきの)から『源氏物語』の「宇治十帖」を預かるなり、秀次を尋ねてみるも、あいにく湯治のため熱海に滞在という。
たかはきりの内心を察するなり、秀次は気弱ゆえ己の気持ちよりも「人からどう見られているか」が大事な人間とあって、側室入りは薦められないと断言する。
折しも、秀吉による秀次の1歳の娘の拾への嫁入りと秀俊の毛利一門・小早川隆景への養子入りという頭越しの決断...。
秀次には不信感と排除への怯えの相反する感情の強まり...。
信繁はこの二人の確執を案じ、宇喜多秀家(高橋和也)も、秀吉の言動に一喜一憂せず、ひたすら秀吉のために尽くせばいいのだとの諭しあって、秀次は安堵。
それでも、後日の吉野での酒宴にて、秀次は宇喜多秀家(高橋和也)との稽古による能の披露することになるも、直前に一緒に演じるはずの秀保の急病。 すぐさま機転を利かす信繁の加入で事なきを得たものの、秀吉からは関白としての第一にすべき務めの無自覚さを激怒され...。
見かねた寧が落胆の秀次を励ますうち夜になって、静かに夜桜を見ながらの宴へ...。
そこへ、朝鮮から帰国した三成(山本耕史)も合流へ...。
心地良いほろ酔いのまま秀吉は、信繁に官位を与えたいと発言。
信繁は驚いた。
すぐさま、兄・信幸(大泉洋)より先に官位を授かるわけにいかないと丁重に辞退するものの、秀吉は怒って塞ぎ込んでしまい...。
幸いにも、すぐに秀次の取り成しが...。
秀次は、官位を授ける決定は関白の務めと明確に主張。 秀吉は少々見直してゆく。
1594(文禄3)年11月2日、信幸は従五位下伊豆守に、信繁は従五位下左衛門佐に、それぞれ官位を付与されるものの、信繁の情けで信幸も官位を与えられたと秀吉が口を滑らせたことに、信幸は激昂して...。
しかも、昌幸も承知と知るや、信幸はますます疎外感に苛まれることに...。
そんな中、秀吉からの伏見城普請加入の下知。
昌幸は信幸の機嫌取りも兼ねて、信繁に頼み込んだ。
信繁が伏見城普請に関わろうとした矢先、訪ねて来た秀次がその図面を目にするなり、秀吉による伏見城での政務執行との勘繰り...。
もう不要なのかとの落胆の激しさに加え、長らく病床にあった秀次の弟・秀保が17歳の若さで他界。
秀吉は、鶴松を3歳で亡くし、拾が3歳となったこの年を不吉な年との実感の強さゆえ激怒。 豊臣家の者の参列を認めない冷酷な仕打ちへ...。
秀次の戦慄と不安はますます増幅するばかりだった。
伏見城か...。
現在の京都市伏見区桃山町周辺....。
秀吉の隠居後の住まいとあって、今後を大きく左右するであろう伏見...。
まず、2015(平成27)年9月16日水曜日発売の『歴史でめぐる伏見の旅 京都を愉しむ』(「THE伏見」編集部/淡交社)に、改めて目を通してみて...。
"水"を重要な言葉としてその歴史を紐解けば、京都でありながら洛中とは異なる独自の文化を育んできたありのままが...。
同時に、じっくりと味わって、想いを馳せてみようかなあ。
伏見城の跡地に桃の木が植えられたとかの由来による"桃山文化"の伝統を象徴する和菓子の証そのもの...。
1946(昭和21)年創業以来の名古屋・八事の御菓子処『菓宗庵』からの【環境優美ラッピング やごとギフト (20個化粧箱入) (15個化粧箱入) (10個化粧箱入)】を...。
2016-05-25 |
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