真田丸 あらすじ ネタバレ 第29回
「異変」
7月24日日曜日に放送。
秀次(新納慎也)亡き後ほどなく、秀吉(小日向文世)は伏見ヘ政を移行。 大名たちも伏見に移り心機一転。
信繁(堺雅人)は秀吉との約束どおり、大谷吉継(片岡愛之助)の娘・春(松岡茉優)を正室として迎えた。
春は人懐っこい性格で、どことなく亡き妻・梅(黒木華)に似ていたこともあり、真田家の面々も春を快く歓迎。
その夜、信繁は自分の率直な思いを春に語る。
春のことは大切にするが、梅の事を忘れることはできない、と。
春は信繁のまっすぐな想いを理解、相思相愛に...。
しかし、深夜に三成(山本耕史)からの報せ、信繁は急ぎ仕度。
聞くところ、秀吉は寝小便のみならず、同じことを何度も繰り返し言うようになり、怒ると自分を制御できなくなっているらしく、そんな秀吉の醜態を目の当たりにした信繁と三成は、不安を強めてゆく。
秀吉も自身の醜態への恥ずかしさから、すっかり弱気になる中、拾が元服するまで関白は置かないと決め、それまでは三成らが相談して政治をするよう命じ、信繁には三成の支えを厳命する。
翌日、寧(鈴木京香)は秀吉を元気づけようと、好物の生せんべいづくり。
きり(長澤まさみ)は、寧の侍女に頼まれ普請場ヘ。 大工の頭の吉蔵から木製の十字架を受け取った。
きりが到着するする少し前の普請場では、信幸(大泉洋)は昌幸(草刈正雄)の遊郭入り浸りの噂を聞き不安顔。
その後、きりは真田屋敷を訪ね薫(高畑淳子)に挨拶したが、その際、普請場に昌幸がいなかったと口を滑らせてしまい、薫は昌幸に不信感を持ち始めて...。
その昌幸は、昼間から遊郭に行き吉野太夫(中島亜梨沙)との遊びから、すっかり覇気を失っており、昌相(寺島進)も佐助(藤井隆)も失望する。
その夜、薫は信幸に昌幸が昼間何をしているのか問い詰める。
折しも、薫の出自が菊亭晴季の母に仕えていた侍女であったことを耳にした直後とあって、信幸は精神的に疲れ果て、癒しほしさから、こう(長野里美)を抱いてしまう。
しかし、すぐに稲(吉田羊)が気づいて怒り心頭。 ただ、皮肉にもそれがきっかけで二人は結ばれる。
そして、間もなくして、こうも稲も懐妊する。
秀吉は寧がつくった生せんべいをまずいと投げ捨て、ほかの日につくってくれたビスケットも「脂臭い」と放り捨てて寧を悲しませる。
三成は、関白を置かずに奉行衆が政を行うことを家康(内野聖陽)にも伝えた方がいいと、秀吉に進言。
それからほどなく、秀吉は家康と対面するも、政は家康を要とした大名たちの合議で進めて欲しいとの秀吉の主張に、三成は困惑。
その夜、信繁は秀吉に関する相談のため、療養中の吉継の元ヘ...。
吉継の病状は良くないらしく、首に布を巻き皮膚の赤みを隠し、身体の意のままに動かない姿に、信繁はかけるベき言葉の見からないまま...。
同じ頃、きりは細川屋敷を訪れ、細川忠興の妻・玉(橋本マナミ)に吉蔵のつくった十字架を渡した。
きりは、秀次の忘れ形見のテンペラ画に描かれた女性が聖母マリアで、秀次がきりの守りに授けたのだと知らされて感動の涙...。
ある日、ついに薫は昌幸に詰め寄った。
しかし昌幸は、まったく意に介さず薫の話を聞き流したまま...。
そこへ信幸から伏見城周りの図面を見せられるなり、突如として鋭い顔つきに豹変。 本丸でなく木幡山の出城に守りの要を置くことで、難攻不落の城を築いてみせると宣言する。
その出城を自分たちが守れば伏見城は1日で落とせると納得の昌相を察して、昌幸は誰が守るかはどうでもいい、単に完璧な城を作ってみたいだけだと、不敵に笑う。
伏見城では、政を大名たちの合議で決める旨を、秀吉が家康に再度厳命。
同じことを二度命じられて不思議がる家康を察するなり、すかさず三成と信繁が上手く取り成すも、秀吉は同じ話を家康に伝える勢い。
三成はその話を制するなり、そもそも政は奉行たちで行えと命じたと指摘する。
秀吉は三成を下がらせ、信繁に「死にたくない」と本音。
残り少ない人生を、できるだけ拾と一緒に過ごしたいと願う秀吉だったが、茶々(竹内結子)はみじめな父の姿を子に見せたくないと言って拒否するだけ...。
1596(文禄5)年7月13日。
伏見にて、震度8とも言われる大地震が...。
完成間近の伏見城は天守が倒壊、一から作り直しに...。
世に言う"伏見大地震"による追い討ちも加わっての、豊臣家による天下の行く末の混迷...。
ますます気になる中、この回より登場する細川ガラシャ夫人こと玉...。
近い将来、無意識のうちに天下の行く末を左右することになるとは、当時の誰が見抜いただろうか、といった想いが...。
2012(平成24)年7月発売の『細川ガラシャ夫人 (上巻) (下巻) 改版』(三浦綾子/新潮社)に、改めて目を通してみるか...。
著者自身もキリシタンならば、より深い考察が...。
1563(永禄6)年、明智光秀と妻・煕子の娘として越前国に誕生。
1578(天正6)年、15歳の時に父の主君・織田信長のすすめによって細川藤孝の嫡男・忠興に嫁ぎ、仲のよい夫婦とあって、1579(天正7)年には長女、1580(天正8)年には長男(細川忠隆のちの長岡休無)が2人の間に生まれた。
1582(天正10)年6月2日、父・光秀の織田信長ヘの謀反による"本能寺の変"ゆえ、"逆臣の娘"に...。
そして、忠興による1584(天正12)年までの丹後国の味土野(現在・京都府京丹後市弥栄町)ヘの隔離・幽閉...。
この隔離・幽閉による苦難が、将来の行く末を象徴するかのように、所縁の地でもある本場・京都丹後の「福喜農園」からの抹茶や有名旅館・佳松苑グループ姉妹店「長寿商店」からの水饅頭の味わい深い【京都抹茶水まんじゅう ガラシャの涙 (6個入)】...。
"悲しみの涙"と"感謝の涙"が深く込められているらしい、葛生地と濃厚抹茶餡での生クリームの包みよう...。
生誕450年を記念しての2012(平成24)年における心尽くしとともに、じっくりと味わいながら想いを馳せたいなあ。
2016-06-10 |
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