おんな城主 直虎 あらすじ ネタバレ 第12回
「おんな城主 直虎」
3月26日日曜日に放送。
1562(永禄5)年12月14日の朝,、直親(三浦春馬)は家臣18人とともに、井伊谷出立。 この地方にしては珍しい、時折雪のちらつく、凍てつく風の頬を刺すくらいの寒さ。
多くの者の一行の見送りと裏腹に、次郎(柴咲コウ)だけはただひたすら龍潭寺の井戸端にて...。
不吉な予感を断ち切るべく、身を切るような冷たい水を頭から何度も何度も被っては、直親の無事の祈りの繰り返し。
次第に身体の感覚が消え意識の遠のきつつも祈る中、突然乾いた布を差し出す直親の微笑み...。
安堵した瞬間、次郎は膝から崩れ落ちて、意識が朦朧とし遠のいて...。
同じ頃の直親にも、次郎の幻影...。
赤く染まった雪の上に横たわり、無残に斬り裂かれた身体は、動かないまま。
すでに、直親たち一行は、道中に待ち伏せしていた今川方の者たちの囲み討ちで、一人残らず斬り捨てられていた。
風雪の中、直親は井伊谷へおとわへと手を伸ばしながら前のめりに倒れたまま...。
まさに父・直満(宇梶剛士)の最期を彷彿。 唯一の違いは、直親には釈明の機会も自死さえも許されず、問答無用に斬殺されたこと。 享年27歳。
直平(前田吟)は、子の直満(宇梶剛士)、孫の直盛(杉本哲太)、娘の佐名(花總まり)、そして今また孫の直親まで失った悲しみで怒り心頭に。
そして次郎には、ふと何気に母・祐椿尼(財前直見)の手のぬくもりと連れて行かないでと直親に哀願する声...。
思わず目を覚ますなり、井戸端で気を失い2,3日もの間も生死の境を彷徨っていたと母から聞かされた次郎が、我に返ってほどなく...。
直親帰還を告げる昊天(小松和重)の声が響いた。
次郎は必死の思いで布団から這い出し、おぼつかない足を前に出すが、途端に後悔し茫然自失に...。
境内には、目を閉じ横たわる孫一郎(平山祐介)や藤七郎(芹澤興人)たち、そして直親が...。
次郎が乾いた血の黒くこびりついた直親の青白い顔に手を触れようとした瞬間、しの(貫地谷しほり)から思いっ切り払い除けられて...。
怒り心頭で目の充血したしの(貫地谷しほり)からは罵詈雑言。 しのを慮って妹・なつ(山口紗弥加)が前に出て、悲しみで自身を見失っていると許しを乞う。
しかし、次郎はしのの言うとおりとして、そのまま立ち去っていった。 以後、次第に記憶は薄れて、数日の間を思い出せないままに...。
次郎は我に返ったのは、ふと耳に届いた読経の声。 即座に直親の葬儀を自覚するものの、身体は全然動かなかった。
ふと耳にした直親の優しい声に押された次郎は、必死に経を読もうとする。 しかし、喉が詰まって一言も発せないまま...。
今川氏真(尾上松也)は、井伊家と松平家との陰謀という疑心暗鬼の高まりとともに、怒涛の追及と苛立ちの高まり、井伊家への執拗な圧力の高まりゆえ、ついには直親の忘れ形見、まだ2歳の虎松(鈴木楽)誅殺の下知へ...。
目付・新野左馬助(苅谷俊介)が、自身の命を差し出す覚悟で駿府の氏真への必死の掛け合い。 幸い虎松助命となった反面、70歳過ぎながら血気盛んな直平(前田吟)の今川方参陣が交換条件に...。
次郎は、唐突に南渓(小林薫)から聞かされて、ようやく我に返るなり、直ちに井伊家居館へ...。
しかし、悲しいかな、そこでは直平と左馬助と城代の直由(筧利夫)が酒の酌み交わし。 直平はかの虎松助命の交換条件の旨を淡々と答え、直由は井伊家にはもう戦の采配のできる男のいないことを淡々と答えて...。
直平はすべてを悟って超越したかのように薄ら笑い。 必ず戻ってくる。 仮にその"もしも"が起こったとしても、それはもはや宿命である、と。
次郎は、直平の表情に胸騒ぎを覚えつつも、ただひたすら手を合わせ、願い、祈ることしかできないまま...。
結局その年1563(永禄6)年9月18日、今川家のために出陣した直平は、身内内での毒殺と噂されるような不審死。
その翌年1564(永禄7)年9月15日、左馬助と直由は別の戦で呆気なく討死。
こうして、井伊家を束ねる男は不在に。 平安のいにしえより約500余年にわたって続いて以来の、いまだかつてない窮地に立たされてしまった。
さらに翌年1565(永禄8)年春の井伊谷へ、駿府に行ったきり音沙汰のなかった小野但馬守政次(高橋一生)が、3人の今川家付目付とともに参上。
井伊家居館に訪れて早々、祐椿尼と対面するや、何と氏真の下知による虎松後見の宣言。
血の気の失せた祐椿尼は唯一相談できる相手を求めて、龍潭寺へ急ぎ南渓を探しまわった。
そして、次郎は井戸端で政次と再会。 しかし、夢か現実か、しばらく解からぬまま...。
政次は、直親裏切りゆえの今川家捕縛と井伊家当主不在ゆえの帰還にまつわる経緯を、淡々と告白。
次郎は、以前と違う政次に当惑。 ほどなく冷淡な瞳の奥を見据えるなり、裏切りを直感。そうせざるを得なかったのかと、あえて尋ねる。
政次は冷淡だった。 恨むなら直親を恨め、何度も同じようなことを繰り返し、井伊家は自らの手で終止符を打ったのだ、と冷笑し去っていくのみ...。
次郎は怒り心頭、傑山(市原隼人)の槍を担いで追いかけようとするも、南渓が現れるなり行く手を塞いで...。
次郎は、我に返って悲しみにあふれたまま、槍を地面に突き立てて絶叫。 自身のせいで直親はじめ皆死んでしまった。 災いをもたらすことしかできない。
南渓は己を責めても死んだ者は帰らないと諭しつつ、地面に突き刺さった槍を抜いた。 そして、死んだ者を己の中で生かすことはできる、例えば思うことで、例えば真似ることで、時には真似ないで、との諄々たる諭しの末に、ほかにないかと尋ねて...。
次郎は、南渓の目をしっかりと見据えて、決断を口にする。 直親に自身を捧げることで、直親の魂を宿して生きていく、と。
次郎の目から、一気に大粒の涙があふれ出た。
井伊家居館に一同が会し、政次と新たな3人の目付・近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久、奥山家を継いだ六左衛門(田中美央)、中野家を継いだ直之(矢本悠馬)を前に、南渓は自身も名を連ねる井伊家存亡の危機を訴えた上で、家督継承の幼少の虎松の後見人推薦の旨を宣言。
誰が指名されるのか想像もつかずに固唾を呑んで見守る中で、南渓が図太い声で"井伊直虎"の名を読み上げた。
一同は聞き覚えのない名前に騒然。 そこへ、唐突に襖が開いて立つは、華やかな衣装を身に纏った次郎だった。
次郎は、沈黙する室内の空気を切り裂くかのように、井伊直虎との名乗り。 攻撃的な眼差しの政次を跳ねのける勢いで、井伊家当主としての統治を宣言する。
直親が生涯を閉じたとされる場所は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にて...。
あの1467(応仁元)年から1477(文明9)年までの約10年間繰り広げられた応仁の乱の最中の1469(文明元)年、今川義元の祖父にあたる駿河今川家第8代当主・今川義忠の下知により築城開始、乱終焉から約10年後の1487(文明19)年に完成となった掛川城築城主である祖父・朝比奈泰煕の孫で、今川家重臣・朝比奈泰朝の襲撃によるものか...。
あの桶狭間の戦い直後の終焉直後の混乱あって、今川方支配にあった井伊谷だけに、今後の戦の差配の要となる井伊家の人材不在は甚大なもので...。
つい考え込んでしまった。
いかに生き抜くことになるのか気になる中、今川方の戦端の要の一つである掛川城陥落の有無が、井伊家の命運を左右するのでは、と。
直親はじめ、ほかのあらゆる武将や侍や農民への犠牲に対する哀悼はもちろんのこと...。
長きにわたる波瀾万丈と紆余曲折を経ての現代の泰平の世のありがたみの謳歌とともに、じっくりと味わっておきたいな。
第68回全国茶品評会産地賞受賞となった、静岡県掛川市下垂木の「木村園」の手掛ける【長寿を願う八十八夜茶そば10人前(極上つゆ付) & 産地賞受賞八十八夜掛川深蒸し茶】や【長寿を願う八十八夜茶そば6人前(極上そばつゆ付) & 産地賞受賞八十八夜掛川深蒸し茶】や【長寿を願う八十八夜茶そば茶和家八十八夜茶そば6人前(極上蕎麦つゆ付)】や【長寿を願う八十八夜茶そば2人前(極上蕎麦つゆ付) & 産地賞受賞八十八夜掛川深蒸し茶】もあるし...。
静岡県掛川市大渕の「おいもや」の手掛ける厳選国産さつまいもの安全・安心あって、ショップ・オブ・ザ・イヤーのスイーツジャンル大賞受賞の【紅はるかの焼き芋 5本セット】や【紅はるかの焼き芋 500g】や【選べる焼き芋セット 4種セット[紅あずま(静岡・茨城産) 紅はるか(鹿児島・静岡産) 安納芋(種子島産) シルクスイート(静岡産)] 3本】もあるし...。
そして、静岡県掛川市南の「これっしかどころ」の運営店「ふじのくに おいしい処 静岡 おいしず」の手掛ける【国際ハム・ソーセージコンテスト金賞受賞店 大石ハム特選セット (2セット) (1セット)】や【国際ハム・ソーセージコンテスト金賞受賞店 大石ハムこだわりセット (2セット) (1セット)】や【国際ハム・ソーセージコンテスト金賞受賞店 大石ハムお試しセット (2セット) (1セット)】までも...。
それだけに、1569(永禄12)年1月23日の徳川方への掛川城開城を見届ける日のためにも...。
生きていられるありがたみのためにも...。
しっかりと見届けるしかない。
2017-03-01 |
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