西郷どん あらすじ ネタバレ 第16回
「斉彬の遺言」
4月29日日曜日に放送。
京での吉之助は、方々奔走の日々。
どうにか兵受け入れ体勢終了真近、鍵屋で前祝いの最中...。
突然の月照(尾上菊之助)訪問。 悲しげな表情のまま、薩摩からの火急の報せとの書状を吉之助へ...。
吉之助は顔面蒼白。 すでに斉彬が7月16日急逝とのこと。 俊斎(高橋光臣)らほかの薩摩藩士たちも同じく愕然...。
衝動のまま、吉之助は土砂降りの雨の中へ...。
それでも吉之助は奮起。 早朝より、近衛家の広間にて月照と俊斎と左内(風間俊介)と密談。 毒殺への嫌疑の深まりへ...。
弔い合戦との憤りの中、吉之助のみ我関せずのごとく...。
唖然の一同に、吉之助は告白。 まだ幕府に敗れてない以上、水戸藩より出兵の策あるはず。 斉彬の呼びかけゆえ挙兵の諸藩と、それら軍勢統括は、隠居の斉昭(伊武雅刀)のみ、と。
その上で、改めて忠煕(国広富之)への詔の依頼へ...。
数日後、天皇から近日中に水戸藩へ詔との忠煕からの報せが....。
左内は京の諸藩の同志たちへ伝達、吉之助は江戸の水戸藩邸へ、斉昭への出兵依頼へ...。
1858(安政5)年8月8日、世に言う"戊午の密勅"...。
ところが、水戸藩邸にて門前払い、吉之助は磯田屋の慶喜(松田翔太)からの助力の依頼へ...。
不運にも、慶喜は大老・井伊直弼(佐野史郎)から斉昭への蟄居の沙汰を理由に動けず、と。
慶永(津田寛治)にも蟄居の沙汰。 城に押し掛けた者たちも同じく...。
そして慶喜にも、蟄居の沙汰。 以後、約3年半も邸内の一室へ...。
月照が念押しの最後の希望断絶の痛感、吉之助は再度京へ。 忠煕と月照にことの次第の伝達と平伏のみ...。
忠煕と月照と左内は落涙。 吉之助は涙なし...。
月照から薩摩帰郷と殉死を見抜かれ、吉之助は斉彬なければ意味なさずとの薄ら笑いのみ...。
同時に江戸では、幕府に反逆の嫌疑ある者たちへの過酷な取り締まり、世に言う"安政の大獄"が...。
天皇並びに公家衆教唆の咎の下、追及の手は月照までにも...。
迷惑をかけまいと単身名乗り出る心積もりの月照は、止める忠煕に、大老を甘く見るなと優しき諭し...。
慮った吉之助は、月照と対峙。 ともに薩摩行きの申し出。 幕府も手は出せないはず、と。
翌日、笠を被った吉之助ら3人は、伏見の船着き場。 江戸での再会の約束の左内の見送りを背に、舟を出す。
以後の左内の捕縛も、自身への追及も、吉之助はいまだ知らずに...。
吉之助が月照を背負い険しき山道踏破の日々の最中、山中の廃寺での夜...。
ふと気配を察した吉之助が外に出るや、斉彬の幻が...。
吉之助は涙止まらず。 短刀を抜いての後追い寸前、常に前向きの斉彬への忠義が勝って...。
時は1858(安政5)年、7月16日に薩摩藩第11代藩主・島津家第28代当主・島津斉彬急逝。 8月8日に大獄の引き金の"戊午の密勅"...。
吉之助の胸の内を誰よりも慮る清水寺成就院前住職・月照への想いを込めつつ...。
京都府京都市東山区清水すなわち・・・にある・・・清水寺参道の「宇治茶専門店 ふじや茶舗」からの【宇治茶と急須のセット】に【京都宇治の宇治茶詰め合わせ 「花錦」玉露と煎茶と雁ケ音 各70g入り】...。
創作平安王朝料理で高名な「京料理 手をけ弁当 六盛」からの【京料理六盛 珈琲わらびもち】...。
それぞれ交互に味わってみたいもの...。
コメント 0