西郷どん あらすじ ネタバレ 第17回
「西郷入水」
5月6日日曜日に放送。
家定(又吉直樹)との死別早々、篤姫(北川景子)は落飾し天璋院と改名。 新将軍・慶福(荒木飛羽)は家茂と改名。
自身を真の母として頼るよう求める天璋院だったが、大老・井伊直弼(佐野史郎)からの讒言そのまま受け取る家茂は冷淡なまま...。
幾島(南野陽子)から暇を貰い城を出るよう勧められた天璋院は、血のつながりなくても家茂を守るのが務めとして断言。
幾島は天晴れな覚悟と称賛。 戦に敗れた者が咎を受けるを倣いとして、大老への示しとして、京への引き上げの決断を告白。 涙ですがる天璋院を振りほどき、江戸出立へ...。
京出立の吉之助(鈴木亮平)たちが、幾度の山越えと小舟での航行による命がけの旅の約50日後...。
薩摩到達と西郷家帰着の吉之助たちは、驚愕と困惑の吉二郎(渡部豪太)と熊吉(塚地武雅)から、ゆっくりと事情を聞く。
一方、久光(青木崇高)は、嫡男・茂久を伴い、実母・由羅(小柳ルミ子)とともに江戸から帰着早々の父・斉興(鹿賀丈史)と対面...。
先の斉彬(渡辺謙)の死の間際、家督は嫡子・哲丸ではなく茂久に譲るとの告白、やってもらわねばらなぬとの強き主張、それぞれ慮っての当主に茂久を据えて自身が後見の決断を、久光は強く主張。
意外にも斉興はあっさり了承...。
西郷家では、吉二郎からの報せで正助(瑛太)が駆けつけて心配...。
吉之助は翌朝早々より鶴丸城登城と月照(尾上菊之助)保護の主張の旨を告白...。
しかし、正助は顔を曇らせつつ、斉興の薩摩帰着早々の雲行きの怪しさゆえ、月照との潜伏を訴え。 即刻嘆願書を家老・山田為久(徳井優)に差し出し依頼へ...。
為久が苦渋の表情の嘆願書記述の翌日...。
鶴丸城で家臣一同の揃った大広間に、新藩主・茂久の威風堂々ぶりを久光が見守る中...。
突然斉興が介入、斉彬の卒兵上京自体、幕府への反逆ゆえ言語道断と断罪。
約束が違うとの久光からの抗議を頑強に却下、斉彬の非なる理由の声高な主張の斉興の威厳は、家臣たちを圧倒。 相次ぐ斉興支持表明へ...。
同じく圧倒の為久は、嘆願書を出せないまま...。
こうして斉興は実権回復。 吉之助と月照には日向送りの沙汰が...。
日向送りとは、薩摩国境の日向までの追放と役人による処刑...。
仲間たちは吉之助を見殺しにできぬとい激昂。
それでも吉之助は、仲間たちに冷静な諭し。 敵は異国と言いなりの幕府である、と。 そのまま月照と立ち去りへ...。
諦めきれぬ正助は、為久に平伏。 為久は新たな書状とともに斉興への目通りへ...。
夕刻時、月照のみの処刑ならば助かると、正助は吉之助に伝達。 それでも、決して死に急ぐことはないとの強き訴え...。
吉之助は淡々と応じつつ、月照とともに立ち去りへ...。
藩の役人とともに乗せた小舟で、錦江湾の真ん中へ向かうと...。
決意を固めた吉之助と月照はともに抱き合い、海中への入水へ...。
1858(安政5)年11月16日のことだった。
聞くところ、吉之助は辞世「二つなき 道にこの身を 捨て小舟 波立たばとて 風吹かばとて」を胸に忍ばせていたとか...。
かの月照も辞世「大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも」...。
享年46歳。
かの悲劇から、長き波瀾万丈と紆余曲折の歳月を経て...。
鹿児島県鹿児島市の小学校、鹿児島市立清水小学校で1917(大正6)年から、鹿児島市立松原小学校で1926(大正15.昭和元)年から実施の伝統行事『錦江湾横断遠泳大会』を題材に、2008(平成20)年3月1日土曜日より鹿児島県、3月15日土曜日より九州全土、4月19日土曜日より日本全国、それぞれ公開の雑賀俊郎監督・登坂恵里香脚本の映画『チェスト!』に想いを馳せつつ...。
あの1960年代からの「福永商店」ならではの【ふるさと納税 無添加<高級手作り干物>桜島灰干し詰め合わせ 計20袋/計10袋 鹿児島県産 国産】の幸を堪能しつつ...。
「長田茶店」からの【有機栽培茶 棒ほうじ茶 100g】をもって、爽快でありたいもの...。
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