西郷どん あらすじ ネタバレ 第24回
「地の果てにて」
6月24日日曜日に放送。
あれから...。
文久2年(1862年)6月11日、新八(堀井新太)が喜界島へ遠島の一方...。
徳之島へ遠島の吉之助(鈴木亮平)は、7月2日、湾仁屋到着...。
早々より耕作に没頭の日々の中、赤子を抱いた愛加那(二階堂ふみ)と息子・菊次郎を背負った義兄・富堅(高橋努)と再会。
富堅曰く、吉之助遠島の報せを耳にするや、愛加那が無性に逢いたくなったとのこと。 二人の温かみを実感しつつ、吉之助は赤子である娘に"菊草(きくそう)"と命名。 ささやかな安堵へ...。
さる"寺田屋騒動"の一件で、京の朝廷より一目置かれた久光(青木崇高)は、公家・大原重徳に随従の江戸行き。 重徳は第14代将軍・徳川家茂と対面へ...。
大老・井伊直弼(佐野史郎)亡き後、弱体化の幕府は、久光の武力を背景の朝廷の介入ゆえ、先の"安政の大獄"で追放の一橋慶喜(松田翔太)が将軍後見職、松平春嶽(津田寛治)が政事総裁職、それぞれ任命...。
数日後、久光は慶喜と春嶽に謁見へ...。
久光は、亡き兄・斉彬(渡辺謙)に代わり、ともに日本を異国に負けぬ強い国にしたい強い意気込みと平伏。
が、慶喜のみ、斉彬の猿真似にしか見えぬ、肚を割っての話し合いなら吉之助を同伴せよ、と一刀両断。 すなわち吉之助の死は嘘と喝破。
久光は吉之助への憎悪を増幅。
それが突き刺さるかのごとく、吉之助の家族水いらずの日々は、突如の役人乱入で崩壊。 制止の愛加那を諭し、吉之助は沖永良部島へさらなる遠島..。
しかも、四畳ほどの壁も雨戸もない格子仕切りへの入牢の厳しさ...。
南国の強い日差しで汗だくの吉之助に、横目付・土持政照(斎藤嘉樹)が数人の島民を連れての挨拶...。
政照は島生まれ、薩摩で学び役人としての帰還を告白。 母・鶴(大島蓉子)への伝達ゆえ、島民たちが芋や魚など心尽くしの食を吉之助の前へ差し出し...。
一度は固辞するも、島民たちの想いを汲み、吉之助は深く堪能。 少しずつ回復へ...。
翌日、政照が二通の文を牢の吉之助へ...。
ところが、川口雪篷(石橋蓮司)という薩摩の罪人を名乗る男が奪取、勝手に文を広げるや一目...。
格之助(北村有起哉)と武次(高橋光臣)が不平不満鬱積と、雪篷から差し出しの文には、一蔵が久光の第一の側近として異例の大出世と変わり身の早さゆえ真意不明ゆえに、吉之助の早急の帰還の希望が...。
人は裏切ると一刀両断の雪篷に、吉之助は友を信じると断言。
それでも、雪篷曰く、代官所からの許しは、日に一度僅かな冷えた麦と塩のみ。 当初より吉之助抹殺の心積もり。 窮状知らずに友を信じるは儚き夢と断言。 そのまま立ち去りへ...。
翌日より吉之助は、島民たちの食を拒絶。 坐禅の日々へ...。
島を嵐が襲うや、衰弱の吉之助を案じ政照が牢から出そうとするも、島民たちへの迷惑を理由に拒絶するのみ...。
虚脱の吉之助は、幸せな徳之島の日々、京での格之助やほかの藩士たち、それぞれ呼びかけの言葉を、瞬時に脳裏に蘇えらせつつ、気絶してしまった。
西郷吉之助のちの隆盛のもう一つの流刑地ともなった沖永良部島。
心身における起死回生としての大きな転換点の予感の高まりへ...。
さる4月20日金曜日より発売の『地球の歩き方JAPAN 島旅 与論島 沖永良部島 徳之島 (奄美群島2)』(地球の歩き方編集室/ダイヤモンド社)はもちろん...。
2015(平成27)年12月9日水曜日より発売の『光り輝く未来が、沖永良部島にあった! 物質文明や金融資本主義社会はもう限界です』(石田秀輝/ワニブックス)での近未来の沖永良部島のあり方...。
さる4月17日火曜日放送のテレビ朝日『林修の今でしょ! 講座』からの紹介、大阪市中央区瓦屋町の「わが街とくさん店」からの【鹿児島 さとうきび酢きらさん 3本セット】...。
そして、【鹿児島 国産 乾燥きくらげ 200g】...。
これらをもって、強要による土壌・さとうきびのバカスの培地の偉大さ...。
江戸時代末期と明治維新の雄藩の一つ・薩摩藩の"光"と"影"の問題...。
じっくりと痛感させられることになりそう...。
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