西郷どん あらすじ ネタバレ 第25回
7月1日日曜日に放送。
「生かされた命」
意識喪失ゆえ危篤状態長引く吉之助(鈴木亮平)は、薩摩に背いても死なせぬ覚悟の政照(斎藤嘉樹)らの牢からの救出、島の名家・土持家の奥の間での療養ゆえ回復へ...。
庭からの雪篷(石橋蓮司)出現より、朦朧ながら水を飲ませてくれた憶えある吉之助は、何気に尋ねる。
しかし、雪篷は目前で死なれるのが迷惑のみと素っ気ない。
政照の母・鶴(大島蓉子)曰く、書家だった雪篷は、かの"お由羅騒動"の折に、いわれのなき咎で流罪とのこと。 いずれ友からの呼び戻しを信じるも、約10年後もなし。 もちろん薩摩からの文もなく、飲んだぐれに...。
藩命記された書状を熱心に目を通す政照が突如、妙案を思いついた絶叫。
翌日、土持家の庭に座敷牢建立と知るや、代官・黒葛原源助が乱入。
政照は「囲いに召し込み」との藩命を楯に、入牢せよとも、いかなる囲いにせよとも、記されずとの主張とともに平伏。 源助も不本意ながら了承へ...。
完全回復の吉之助は、世話ばかりの身の上の申し訳なさゆえ、島役人とヤンチュそれぞれの子どもたちへの学問の指南の申し出...。
当初こそ遠慮がちなヤンチュの子どもたちも、吉之助からの温かい後押しのまま、役人と子どもたちとともに、学問の取り組みと無邪気な戯れへ...。
1862(文久2)年8月21日、江戸からの帰途での久光(青木崇高)一行の大名行列を遮ったイギリス人・チャーノルド・レノックス・リチャードソンを無礼討ちの"生麦事件"が...。
イギリスからの30万両賠償要求を、久光嫌いの慶喜(松田翔太)の進言ゆえ将軍・家茂による薩摩への転嫁、翌年1863(文久3)年7月2日より"薩英戦争"へ...。
開戦のきっかけは、一蔵(瑛太)からの「薩摩の兵が日の本一と示す時」との久光への進言。 咄嗟に制止の中山尚之助(天野義久)と堀次郎(鬼塚俊秀)は、久光から厳しく叱責。 一蔵を薩摩隼人と絶賛。
一蔵は早速、リチャードソン無礼討ちの奈良原喜八郎(明石鉄平)と止めを刺した海江田正次(高橋光臣)の、責めを負っての自害を阻止。 今こそ薩摩が一つとなる時との激励。 舞い戻るや、兵は一人でも多い方がいいと久光への取り成しと赦免へ...。
そして、喜八郎も正次も一蔵へのわだかまり解消へ...。
前後しての沖永良部島にて、雪篷が漁船を盗んでの島抜けの備え...。
制止の吉之助に、雪篷はイギリスとの開戦前の薩摩への阻止なしで、犠牲になるのは民との絶叫...。
同じく亡き斉彬(渡辺謙)から薫陶の雪篷ゆえ、吉之助も共感虚しく、ともに源助により座敷牢へ...。
それでも、島民を守りたい一心昂じて、吉之助と雪篷は脱走。 見晴らしの良き高台に見張りのための土塁をつくり。 政照も加勢へ...。
源助の黙認の下、ヤンチュと島役人それぞれの子どもたち、そして島民たちもも加勢、温かきひとときへ...。
結局、イギリスとの戦は薩摩の追撃ゆえ、わずか2日で終焉...。
約半年後の1864(元治元)年2月、一蔵たちの尽力ゆえ、吉之助の赦免決定。 弟・信吾(錦戸亮)が迎えに...。
この1年余、雪篷は吉之助に書と漢詩を指南、ともに時世を語り合うまでの間柄。
言いようのない寂しさ昂じた翌日、雪篷は崖の上から大きな布を振って、浜を離れる吉之助の小舟見送りへ...。
蒸気船へ乗り換えの吉之助たちは、喜界島で新八(堀井新太)を乗船。 信吾の機転で奄美大島へ寄港。 吉之助は愛加那(二階堂ふみ)と子どもたちとの再会へ...。
吉之助も愛加那も最後の別れを痛感。 互いを慮りつつの別れへ...。
すべては、かの1998(平成10)年より発売の『生麦事件』(吉村昭/新潮社)での一連の流れをたどるかのごとく???
加えて、東京都杉並区天沼の「カリフォルニアワインあとりえ」からの【パラダイスリッジ シャルドネ "カナエ・ザ・グレープキング" ロシアンリヴァーヴァレー (Paradise Ridge Chardonnay KANAYE The Grape King Russian River Valley Sonoma County) 750ml】...。
すなわち、"薩英戦争"から2年後の1865(慶応元)年からの英国使節団19名のうち1人・長澤鼎(ながさわかなえ)の熱い想いのごとく...。
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