西郷どん あらすじ ネタバレ 第34回
「将軍慶喜」
9月9日日曜日に放送。
幕府軍に対し長州軍は、大量の銃と軍艦を購入。 総参謀長・大村益次郎(林家正蔵)の下、本拠地・山口政事堂防備の上、薩摩の後方支援とともに、優勢な戦闘ぶり...。
1866(慶応2)年7月20日、大坂城にて将軍・家茂(勧修寺保都)が責務重大さと重度の脚気ゆえ、永眠。 享年21歳。
次期将軍として、慶喜(松田翔太)指名。 が、本人は徳川宗家継承の反面、将軍職拒絶。
家茂の喪に服すとの名目で、慶喜は出陣取り止め。 休戦交渉は麟太郎(遠藤憲一)に丸投げへ...。
幕府の事実上の敗北と直感の具視(笑福亭鶴瓶)は再起...。
が、孝明天皇(中村児太郎)は変革そのものが大嫌い。 お気に入りの慶喜や京都守護職兼任会津藩主・松平容保(柏原収史)のみ依存。 嵐去るのを待つのみ...。
10月より天皇の強い希望で、慶喜参内。 12月5日、第15代将軍・徳川慶喜へ...。
が、尊王攘夷の名の下、多くの志士たちの相次ぐ討死の中、いかに世界とこの国の情勢を奏上あれ、天皇が全然聞き入れなかった経緯ゆえ、諸藩の誰もが天皇への失望の高まり...。
そして、12月25日、孝明天皇崩御。 唐突ながらも、悲観よりも安堵感の蔓延へ...。
特に、この年7月12日、糸(黒木華)に男児誕生。 吉之助(鈴木亮平)は干支にちなみ寅太郎と命名。
"太郎"との命名ゆえ、糸は奄美大島の愛加那(二階堂ふみ)や菊次郎の立場を考慮。が、菊次郎はいずれ引き取るつもりでも、嫡男にできぬと、吉之助は淡々と伝達...。
赤子をゆっくり眺める余裕なき吉之助は一人、慶喜の手法を予測。
家茂急死に伴う、徳川宗家継承の反面、将軍職就任せずとの主張は、謙虚でなく周囲の出方確認のみであること。 生糸貿易独占やさまざまなものと引き換えに、巧妙にフランス公使ロッシからの援助取り付け。 最近、ナポレオン三世から友好の証として見事なアラビア馬25頭の慶喜への寄贈。 万一、上手くいけば慶喜にも勝算ありゆえ先行不透明...。
慶喜は世に対し将軍は自分のみとの示威。 三顧の礼をもって将軍就任の欲求。 さまざまな条件を付けるに違いない、と。
牽制すべく吉之助と一蔵(瑛太)は、諸侯会議開催、兵庫開港問題と長州処分関連の協議の決意の高まりへ...。
すなわち、将軍でなく天皇が直接采配を振るう時代の到来の周知、将軍職廃止の具体化へ...。
が、その第一歩の諸侯会議にも、大名たちはそれぞれ口実設けて上洛せず。
一方の慶喜は、あれほど将軍職を固辞の反面、公卿たちに散財、名実ともに征夷大将軍の地位へ...。
日頃はせかせか話し重厚さを欠いたごとき慶喜ながら、慎重にことを進めて、巧妙な相手攻略の手法に、吉之助は賢き男との感嘆のみ...。
が、かの賢さが国のためになると思えず、吉之助は京を出立、鹿児島へ...。
久光(青木崇高)に再度の諸侯会議開催の旨の告白の上、主導権握って議長の役割を果たしてほしいとの依頼へ...。
快諾の久光に、吉之助としては使い勝手の良い駒ゆえ、万一こと起きれば、すぐに腹を切れとの肉迫との見方...。
それでも構わず、すべて終われば、薩摩帰郷の百姓生活のみ。 吉之助はそう決断。
土佐到達の吉之助は、前土佐藩主・山内容堂(大鷹明良)と対面。
昼間から酒の臭い充満の容堂も、諸侯会議への出席に同意。 が、龍馬には一度の面識なし。 しかも、脱藩した者に会う必要なしとの吐き捨てに、吉之助は唖然のみ...。
以後、吉之助が宇和島藩主・伊達宗城(長谷川公彦)へ、帯刀は越前福井藩主・松平春嶽(津田寛治)へ、それぞれ同意取り付けへ...。
そして、京の越前藩邸で、国動かす有力諸侯4人による初の会議が開催へ...。
唐突ながら、かの激動の時代だけに、ふと気になってしまう。
1969(昭和44)年10月から1971(昭和46)年11月まで『朝日新聞』夕刊紙上連載...。
そう、1977(昭和52)年1月2日日曜日から12月25日日曜日まで全52回放送の司馬遼太郎原作・大野靖子脚本のNHK大河ドラマ『花神』...。
すなわち、物語の主人公、周防の村医者・村田蔵六から、長州藩倒幕司令官そして明治新政府・兵部大輔まで昇格の日本近代軍制創始者・大村益次郎(四代目・中村梅之助)の生きざまを...。
原作小説とDVD、それぞれ照合しつつ、本放送鑑賞と熟考、という贅沢な悲鳴に???
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