西郷どん あらすじ ネタバレ 第41回
「新しき国へ」
11月4日日曜日に放送。
かの"廃藩置県"以来、あらゆる改革断行の中...。
薩摩・長州出身者たちの主導権の変わらぬ反面、維新に尽力の想い強き土佐・肥前出身者たちの不満増幅の中...。
新たに決定の欧米使節団派遣にも、岩倉具視(笑福亭鶴瓶)を筆頭に、大久保利通(瑛太)、木戸孝允(玉山鉄二)、伊藤博文(浜野謙太)、といった"薩長"優遇も歴然...。
明治維新4年後も国内問題山積のまま、大部分の政府首脳陣不在に納得できぬ隆盛(鈴木亮平)だったが、アメリカやイギリスへの見聞深き博文は、強固な欧米の繁栄の見聞こそ、将来の日本国を担う者たちの急務であるとの主張...。
結局、具視の締めと三条実美(野村万蔵)への挨拶とともに受諾。 なぜかほかの者たちからの反対もなく終了へ...。
その後、隆盛は利通から忠告。 岩倉使節団派遣の間隙に、土佐・肥前出身者たちの実権掌握の策謀を。 鹿児島では、廃藩置県を不服とする旧薩摩藩国父・島津久光(青木崇高)を擁しての不穏な動向を。
利通から哀願の隆盛は、女子や子どもも同伴と知るや、菊次郎(今井悠貴)へ異国行き促す文をしたため...。
隆盛の長屋へなじみの薩摩の面々集結の中、後から来た従道(錦戸亮)と川路利良(泉澤祐希)から欧州への同行承認の伝達。 中村半次郎改め桐野利秋(大野拓朗)と従兄弟・別府晋介(篠原悠紳)たちも集結。
皆意気揚々の中、村田新八(堀井新太)のみ、帝への直々奉仕ゆえ、恐れ多いと浮かぬ顔のまま...。
しかし、幼少より明朗闊達かつ清廉潔白ゆえ、帝への直々奉仕は当然との、隆盛からの諭し...。
新八は感涙とともに受諾。
数日後、帝の教育係に相応な人物抜擢と同伴の隆盛は宮中へ...。
利通から大蔵省を預る隆盛は、名実ともに留守政府預りの立場へ...。
が、具視からは、土佐の後藤象二郎(瀬川亮)や肥前の江藤新平(迫田孝也)への用心と、留守中は何にもするなとの牽制...。
こうして岩倉使節団は、横浜港からサンフランシスコへ...。
前後して、具視の不安的中のごとく、長州の山県有朋(村上新悟)率いる陸軍が65万円の途方もない額を、かの奇兵隊時代の同志かつ政商・山城屋和助へ無断貸与、見返り受諾との事件が...。
孝允抜擢の旧長州藩士かつ大蔵大輔・井上馨(忍成修吾)のみ味方ゆえ、苦渋の隆盛は実美から巡幸差し支えの不安の吐露とともに決断...。
結局、有朋が陸軍大輔返上。 かの和助の11月29日の割腹自殺。 世に言う山城屋事件は幕引きへ...。
隆盛には、さらなる懸念が浮上...。
すでに改名の海江田信義(高橋光臣)が、旧薩摩藩国父・島津久光(青木崇高)からの書状を手に、隆盛を訪問...。
先の廃藩置県の煽りでの鹿児島の不満沸騰の中、新政府への怒り、政府派遣の各地の長官である県令に、久光任命の要望だった。
隆盛は苦渋のまま拒絶...。
翌年5月からの明治天皇(野村万之丞)の西国各地巡幸の中、鹿児島城での拝謁の久光は、洋装に愕然と憤怒。 後で隆盛を厳重に叱責。 亡き斉彬(渡辺謙)の落胆深さを知れ、と。
隆盛はただひたすら涙での忍従のみ...。
不平等条約改正も兼ねた岩倉使節団の欧米歴訪...。
明治4年11月12日(1871年12月23日)から1873(明治6)年9月13日まで...。
政府首脳陣や留学生を含む総勢107名。
すべては、2012(平成24)年9月1日土曜日より発売の『岩倉使節団 誇り高き男たちの物語』(泉三郎/祥伝社)に集約か...。
大阪府堺市中区小阪の「あきさ」自慢の【Japan beer 日本ビール 大久保利通 330ml / 24】で堪能しつつ...。
世に言う"山城屋事件"の経緯、2018(平成30)年9月12日水曜日より発売の『隠れたる事実 明治裏面史』(伊藤痴遊/講談社)からも、目を通してみるか...。
"乱世"蔓延からの"治世"の芽生えだけに...。
なお、旧暦こと太陰暦は、明治5年12月2日(1872年12月31日)まで...。
新暦ことなる太陽暦の、1873(明治6)年1月1日からの波乱が、いよいよ...。
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