西郷どん あらすじ ネタバレ 第42回 第43回
「両雄激突」
11月11日日曜日放送の第42回...。
1872(明治5)年、東京の隆盛(鈴木亮平)の母屋に、菊次郎(今井悠貴)とともにアメリカ留学の琴(桜庭ななみ)の長男・宗介の滞在の日々の中...。
岩倉使節団日本出発1年後のロンドンの利通(瑛太)より、自身の頬から顎にかけての長い髭の顔写真同封の手紙には、アメリカで全然交渉の余地なき悩みが...。
翌年1873(明治6)年早々、菊次郎と宗介が、アメリカの作物や牛馬の育成こそ学問として成立ゆえ豊かな農民から学べとの、隆盛からの後押しで出発...。
反面、隆盛の預かる留守政府では、先の"山城屋事件"で伸長の土佐と肥前の面々が主導権掌握、初の綻びが...。
政府信用獲得のため、国と民に向けた改革断行での成果目指す隆盛に、陸軍小輔の弟・従道(錦戸亮)は岩倉使節団帰国まで新政策施行せずとの盟約破棄を懸念...。
が、利通も理解してくれるはずとの隆盛に、返す言葉のないまま...。
会議室では、司法卿・江藤新平(迫田孝也)、左院議員・後藤象二郎(瀬川亮)、参議の板垣退助(渋川清彦)と大隈重信(尾上寛之)が、秋田の銅山を不正差し押さえの大蔵大輔・井上馨(忍成修吾)に肉迫...。
太政大臣・三条実美(野村万歳)の狼狽制し、隆盛は岩倉使節団の帰国待てず、皆一枚岩での政策推進の宣言...。
以後、薩摩1人、土佐2人、肥前3人、での参議新体制として、学制、地租改正、徴兵令、といった後年への新政策推進へ...。
反面、皇居・西の丸御殿出火騒動の翻弄祟って、隆盛は過労で卒倒へ...。
病床の隆盛の長屋へ、利通は使節団より一足早く、しかも予定より8ヶ月遅れの約1年半ぶりの帰国...。
が、帰国喜ぶは実美のみ。 すでに実権掌握の土佐と肥前の面々から排除の利通は、成果なしの無念を告白...。
隆盛からの励ましに救われ、利通はイギリスの産業革命について熱心に語る中、留守政府の参議たちの全員辞職の上で、岩倉使節団帰国とともに新政府刷新、自分らの手で欧米を超越する日本国目指すことを主張...。
が、隆盛は、留守政府堅守の新平はじめ参議たちとともに、協働が適切と切に主張...。
利通は、隆盛に勝てぬ不甲斐なさに落胆。 振り払うかのごとき立ち去るのみ...。
数日後、朝鮮との国交問題が浮上...。
急激な欧米接近の明治新政府を認めず、交易も国家介入も許さぬとの布告...。
退助は即刻軍艦と兵の差し向け、我が国への非礼の謝罪を強硬に主張。
が、隆盛は断固反対。 あくまで礼節重視の上、自ら全権大使としての朝鮮出立を主張。
火急の決断切迫ゆえ、岩倉使節団帰国前に、「隆盛の朝鮮派遣」という形で決定。 勅許得られ次第、実行の運びへ...。
9月13日、予定より1年遅れの岩倉使節団帰国。
朝鮮派遣停止察して、隆盛が実美を詰問。 具視承認の上で奏上の約束。
が、10月14日、具視交えた閣議にて、具視の承認のみ。 との形式的な流れを制止のごとく、利通が...。
「さらば、東京」
11月18日日曜日放送の第43回...。
さかのぼる前日...。
帝から使節団失敗の叱責ゆえ落胆の具視は、伊藤博文(浜野謙太)に引き込まれた料亭にて、居場所なき同じ長州の木戸孝允(玉山鉄二)・井上馨(忍成修吾)・山県有朋(村上新悟)からの愚痴の交錯の中...。
政府去るとの噂の利通出現。 隆盛に勝ち今の政府刷新のため朝鮮派遣撤回したいとの主張...。
当日の閣議にて...。
単身乗り込みは殺害ゆえ戦の火種必定と、利通は主張。
隆盛は反論。 礼節もっての対峙は、心通じる、と。
利通も反論。 朝鮮よりも富国強兵優先の力説。 新平が皮肉全開で議論すり替えと断罪まで、誰もが熱弁に圧倒...。
それでも利通は、隆盛のみ注視...。
両者膠着に観念の具視は、隆盛の朝鮮出立を命じ、朝鮮国使節派遣可決、後日に実美が帝への奏上のみ。
ところが...。
何と、実美が急病ゆえ卒倒、閣議中止。 見舞いの隆盛は、利通らの企てを知らされ唖然...。
何と秘密裏の閣議再開。 実美代わって具視が奏上...。
朝鮮国使節派遣見送りの代わりに、国政整え民力養うべし、と。
翌日、隆盛は悔しさ秘めつつ、朝鮮の居留民の命の危うい時の救出哀願の上、深々と一礼、会議室退出へ...。
血相変えた利秋(大野拓朗)たちに辞職も暴発も許さずと厳命。 辞表提出の隆盛は、政府を去った。
翌々日、新平も象二郎も退助も、政府を去った。
数日後...。
孝允は、切迫のまま隆盛訪問。 が、残りの長州の参議たちのため留まってほしいと逆に隆盛から哀願...。
そのまま隆盛は利通の邸宅訪問...。
隆盛はなぜ狡猾に対峙したのかと悲観混じりに尋問。
が、利通は憎悪覚悟の上でのことと断言のみ...。
それでも隆盛は主張。 正しき道なら突進し遂行の姿を嫌悪できぬ、あとは鹿児島での耕作の日々のみ、きばってほしい、と。
隆盛は茫然の利通を背に、立ち去った。
ふと思った。
2002(平成14)年3月20日水曜日より発売の『戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで』(加藤陽子/講談社現代新書)を...。
もしや、かの本放送で、以後の将来の行く末の決定打に???
かの"明治六年の政変"の1872(明治6)年10月23日から、あの"太平洋戦争"参戦の1941(昭和16)年12月8日までの流れが...。
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