いだてん あらすじ ネタバレ 第10回
「真夏の夜の夢」
3月10日日曜日に放送。
かの1905(明治37)年9月5日の日露戦争勝利ゆえ、ストックホルム到着早々より四三(中村勘九郎)と弥彦(生田斗真)は、現地の記者から取材殺到。 日本人選手への注目度の想像以上の高さを痛感...。
ホテル・チェックイン早々、四三は治五郎(役所広司)宛の手紙走り書き。 弥彦と翌朝より本格的な練習開始を。 1ヶ月半、気抜かず貫徹の強き決断を...。
以後、四三は坂道中心の3里・4里の一人走りの練習継続へ...。
反面、他国選手とのすれ違いゆえの孤独の痛感。 一つの競技出場の複数選手の互いの批評としての他国の流儀、西洋選手との体格差、といった劣等感の深まりへ...。
練習後の四三は、兵蔵(竹之内豊)・安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)夫妻より、マラソンに加え、10,000m走出場の推奨。 弥彦も100m・200mほか400m走にも出場するとして...。
マラソン予行演習としての弥彦から推奨ゆえ、四三は同意へ...。
兵蔵は、この日の練習に出られなかった後悔と謝罪へ...。
が、翌日も兵蔵回復せず。 弥彦は兵蔵記載の練習メニューを安仁子より受諾と鍛錬かつ精進のみ...。
マラソン挑戦の四三は、兵蔵の専門外ゆえ練習メニューなし。 孤独な走り継続のみ...。
ある日、ロッカールームにて、ラサロが四三の履く足袋への興味。 見せてほしい、と。
ラザロは故国で大工仕事。 貧困ゆえ電車乗れず、常に走りで移動の日々の中、マラソン選手としてスカウト...。
日頃電車乗らず韋駄天通学継続の四三は、より親近感。 ラザロへ替えの足袋のプレゼント。
他国の選手たちも、世界記録輩出の四三の足袋に興味津々、質問攻めと足袋の要求へ...。
四三は辛作(ピエール瀧)に電報。 即刻足袋の追加製作かつ注文の要望へ...。
6月15日、四三は治五郎宛ての手紙。 弥彦の孤独を綴って...。
孤独な練習の中、西洋人選手とのスピードの差の痛感と自信喪失。 12日目より部屋籠りの日々、と。
心配強まる四三の様子見も、弥彦からの警戒より強まるのみ...。
本人曰く、世界記録保持の日本人として注目は、常に四三。 やっと自身の記事掲載虚しく、四三の記事に間違い掲載の自身の写真が...。
部屋から追い払いたがる弥彦を背に、四三は兵蔵・安仁子夫妻の部屋へ...。
何とげっそり痩せた兵蔵の咳き込みに茫然自失...。
再び廊下へ出るや、弥彦の部屋の扉開放に驚愕、咄嗟に入るや、何と弥彦が窓に足かけ、飛び降り寸前...。
四三は必死で弥彦制止、強き主張。 我々の一歩は日本人の一歩、速かれ遅かれ、我々の一歩に意味あり、と。
涙で頷く弥彦と和解の四三は、弥彦の練習にも同行。 兵蔵のメモを手に二人で試行錯誤の日々へ...。
次第に弥彦が痛快男子ぶり回復。 兵蔵も回復の兆しとともにグラウンドへ...。
6月23日、白夜のストックホルムでの夏至祭...。
ホテル内での毎晩の音楽と嬌声と喧騒の中、より鬱積の四三と弥彦は、ホテルの食堂へ...。
ところが、あらゆる人たちからの嬌声と歓待。 日本の歌の要望へ...。
二人は「君が代」斉唱。 万雷の拍手喝采...。
そこへ治五郎出現。遅れを謝罪、これまでの感謝へ...。
治五郎は自分の部屋に、四三と弥彦、兵蔵・安仁子夫妻、内田定槌スウェーデン公使(井上肇)を招き入れ...。
四三には清さん(峯田和伸)からの足袋が、兵蔵には製本した『オリンピック式陸上運動競技法』が...。
内田公使は持参の開会式のプログラムを目にし、日本がイタリアの次の出場、と...。
プラカード表記に関し、治五郎と兵蔵は「JAPAN(ジャパン)」が適切との姿勢。
が、四三は納得せず。 「JAPAN」は英国人の付けた呼び名、自分はあくまで日本人、「日本」でなければ出ない、と。
兵蔵は読めなければ意味なし、日本の国際大会参加を世界の人たちへ周知の必要あり、と。
弥彦も安仁子も加わり、侃々諤々。 治五郎は不穏な流れに憂い深めて...。
オリンピックの歴史と蓄積と心得...。
2018(平成30)年10月31日水曜日より発売の『文明と身体』(牛村圭/臨川書店)にも、大森兵蔵本人執筆の『オリンピック式陸上運動競技法』が含まれているとは...。
本放送とともに肝に銘じることになりそう...。
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