いだてん あらすじ ネタバレ 第40回 第41回
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」
10月27日日曜日放送の第40回...。
終戦直後の日本の焼け野原の屈辱発奮のまま、政治(阿部サダヲ)は日本体育協会(体協)再建決断。 東龍太郎(松重豊)会長決定...。
1948(昭和23)年、日本水泳連盟(水連)理事長就任の政治は、小池礼三(前田旺志郎)・宮崎康二(西山潤)指導員の下、浜松出身・古橋廣之進(北島康介)実力伸長の反面...。
12年ぶりとしてのロンドンオリンピックには、占領下ゆえ不参加に...。
が、2年後には政治がダグラス・マッカーサー連合国最高司令官へ直談判...。
水連は国際水泳連盟(FINA)復帰。 全米水泳選手権招待へ...。
日本選手団は、6種目中5種目制して、廣之進はすべて世界新記録での勝利...。
日本独立承認の翌年1952(昭和27)年には、ヘルシンキオリンピック参加...。
即刻、政治と龍太郎は、吉田茂首相へ日本でのオリンピック開催進言。 ヘルシンキ同様、国や市からの助成なしで、入場料徴取の方法として...。
が、吉田首相の腰重いまま...。
自ら政治家になる決断の政治は、実家土地売却の選挙費用での出馬虚しく、呆気なく落選...。
1955(昭和30)年開催オリンピック・メルボルン大会で、諦めきれぬ政治は、語学堪能な岩田幸彰(松坂桃李)同伴のロビー活動へ...。
次回IOC総会の東京開催、アジア競技大会の神宮球技場開催、ともに決定。 8万人収容可能の国立競技場改築へ...。
政治は龍太郎へ東京都知事出馬進言。 見事当選へ...。
ミュンヘン開催IOC総会で、スピーチ予定の北原秀雄(岩井秀人)が怪我。 急遽、治五郎(役所広司)最期見届けた平沢和重(星野源)スピーチ依頼へ...。
時期早尚との和重だったが、政治から治五郎はじめ多くの日本人の強き想い容れつつ、見事な最終スピーチ。 東京オリンピック決定へ...。
「おれについてこい!」
11月3日日曜日放送の第41回...。
東京オリンピック組織委員会結成伴い、顧問に川島正次郎(浅野忠信)、会長に津島寿一(井上順)、政治は事務総長と選手強化対策本部本部長の兼任へ...。
ふと女子バレーメダル獲得可能性知るや、政治は即刻練習場所へ...。
突如、"鬼の大松"こと大松博文(徳井義実)監督からの厳格な猛練習が...。
驚愕の政治は、静かに技磨く柔道の素晴らしさ見せようと、博文を治五郎の弟子たち集う柔道場へ...。
が、耳貸さぬままの博文は、何と柔道の受け身から回転レシーブ披露へ...。
組織委員会での折衝の中、選手村が埼玉県朝霞市のキャンプ・ドレイクに、グラフィックデザイナー・亀倉雄策(前野健太)が東京オリンピック・シンボルマークをデザイン、記録映画監督が"世界のクロサワ"こと黒澤明(増子直純)、それぞれ決定...。
幸彰は政治の依頼で、1年余のローマ視察へ...。
ローマ開催IOC総会で、東京オリンピック競技種目決定。 柔道が正式種目に...。
ローマオリンピック視察終えた幸彰曰く、日本は体操で金メダル4つ獲得。 反面、陸上・競泳で低成績。 総合で世界8位...。
黒澤監督から予算20億円必要との主張の下、幸彰はローマオリンピックの国費なしの代替に、サッカーくじ・トトカルチョ収益での賄い進言へ...。
意気揚々の政治主導での、記者招待の公開討論にて、龍太郎はトトカルチョ提案。 寿一は反対。
神聖なオリンピックの博打汚染自体、言語道断と寿一絶叫。 正次郎も同感。
画期的との政治は、正次郎と対立。 結局、大勢反対ゆえ譲歩するも...。
選手村の場所めぐるも、政治は代々木、正次郎は朝霞、それぞれ主張かつ対立へ...。
1961(昭和36)年、1959(昭和34)年5月開催ミュンヘン・IOC総会での和重のスピーチ幸いし、男子バレー正式種目追加...。
政治は選手村の件でも、幸彰へ協力依頼...。
とうとうここまで...。
1945(昭和20)年8月15日・終戦から...。
波瀾万丈と紆余曲折を経て...。
1964(昭和39)年10月10日[のちの国民の祝日・体育の日]から10月24日までの15日間...。
この年2019(令和元)年7月5日金曜日より発売の『東京オリンピック1964』(松下茂典/潮出版社)か...。
第18回オリンピック競技大会、即ち1964年東京オリンピック、至るまで...。
光と影の問題、悲しいかな近未来も継続の予感...。
肝に銘ぜねば...。
コメント 0