軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第11回
3月16日日曜日に放送。
1576(天正4)年7月、摂津木津川河口で、石山本願寺に兵糧を運ぼうとする毛利の水軍に、織田軍が大敗し、織田の水軍も壊滅。
衝撃は各地に飛び火して、石山本願寺はもちろんのこと、甲斐の武田、越後の上杉などによる信長包囲網は、少しずつ勢いを増していって...。
官兵衛(岡田准一)はじめとする黒田家の重鎮と家臣団の表情の険しい中、秀吉(竹中直人)からの書状を手にした九郎右衛門(高橋一生)が、急ぎ到着。
書状の内容は、京に入る秀吉の軍勢が数日で播磨に到着とのこと。
俄かに沸き立った黒田家だったが、それも束の間、信長(江口洋介)の命で播磨出兵が取り止めに。
秀吉だけが、播磨出兵を訴えたが、これくらいで揺らぐような味方は不要とする信長の絶対的な命に、逆らうことはできなかった。
その旨を伝えてきた半兵衛(谷原章介)からの高慢な物言いに、官兵衛は一瞬憮然とするものの、備前の宇喜多を調略するという妙案を出されて...。
もし、宇喜多が織田に味方すれば、毛利と直に対するのは、播磨でなく、西の備前。
しかし、宇喜多直家(陣内孝則)は、身内すら騙し討ちにする男。
裏切りを繰り返してきたゆえ寝返る見込みは充分あることに加えて、自身ならできる手立てのあることを、半兵衛から伝えられた官兵衛は、光(中谷美紀)の姉・力(酒井若菜)の嫁いだ上月景貞が宇喜多に通じていることを、思い出すことに。
危険だと渋る光に文を出させ、力から景貞に話を通してもらったことで、官兵衛は上月城へ。
城の者は警戒するものの、戦上手と評判の官兵衛が会いたがっているという噂をすでに耳にしていた直家が直々に会いに来た。
直家は官兵衛の真意をすでに見抜いており、度胸に感服。
しかし、官兵衛のように澄んだ目をした男は、皆早死にしたとする直家の物言いに、官兵衛は内心震えた。
そして、笑顔の直家から酒を勧められて...。
毒盛りはお手のものというかねてからの噂をすでに耳にしていた官兵衛は、困惑するだけ。
しかし、自身を殺しても得にもならないとする直家のさり気ない物言いに押されて、官兵衛は一気に飲み干し。
何ともなかった反面、口から泡を吹いて絶命したのは、上月の家老・内藤平八郎。
織田に通じていた裏切者と官兵衛に告げた直家は、淡々と飲み干すだけ。
人を信じずに生き抜いてきたこと、織田に味方しないことを官兵衛に伝えた直家は、あっけなく立ち去って行った。
年が明けて、1577(天正5)年。
秀吉が播磨に来る気配はない。
堪りかねた政職(片岡鶴太郎)は、毛利と二股をかけると口にするまでに。
窮状の打開に苦心する官兵衛は、摂津の荒木村重(田中哲司)を訪ねて、軍勢の差し出しを依頼。
織田が来たと知らしめれば、播磨も落ち着き、宇喜多への説得も可能として。
しかし、村重は石山本願寺への対応から離れられず、兵が足りないくらいとのこと。
村重曰く、門徒衆は恐れるどころか、喜んで死んでゆくらしい。
それを目の当たりにして戦うことに、村重は心を痛めていた。
そこへ、だし(桐谷美玲)が高槻城主・高山右近(生田斗真)を連れてきた。
官兵衛は驚いた。
ここまでの道中で見かけたキリシタン葬送行列の中に、ロザリオを手にした右近と思わず再会することに。
村重は、門徒を減らすために、右近に命じて領内にキリシタンを広めているらしく、だしまでが右近の導きでキリシタンになったという。
右近はまじめなキリシタン。
名もない領民のために棺桶を担ぎ、墓を掘るという。
「神、デウスのみもとでは武士も百姓もない」
「人と人とが信じ合えば、誰もが心の安らぎを得られる」
そのように考える右近の夢は、領民すべてを改宗させて、キリシタンの国をつくること。
官兵衛は高山右近という人物に興味をそそられた。
一度地獄に落ちて甦った証しとされる右近の首筋の刀傷とともに。
それから間もなく官兵衛に届いた秀吉からの書状。
信長の下知で、上杉謙信と相対している柴田勝家(近藤芳正)の助っ人として、北国へ向かうとのこと。
書状には「わが弟・小一郎(嘉島典俊)同然に思っている」としたためられていても、播磨へ来られないがゆえの方便と察した官兵衛は落胆。
日々は流れて、織田に属したのは間違いだったかと官兵衛の心が揺れ始めた矢先、秀吉が勝家と仲違いして北国から無断で撤退したとの報が...。
秀吉は、激怒した信長から蟄居を申し付けられ、長浜で沙汰を待つありさま。
法度に厳しい信長のこと、秀吉の身勝手を許すはずがなく切腹も充分ありえると察した官兵衛は、すぐさま長浜城へ。
ただ、官兵衛がそこで目の当たりにした光景は、秀吉がけしかけた広間でのどんちゃん騒ぎ。
おね(黒木瞳)や家臣はもとより、猿楽師、相撲取り、遊女までが入り乱れて、飲めや歌えやの大騒ぎ。
怒った官兵衛が秀吉に問いただしたところ、秀吉は心の内を語った。
自分の意見は誰にも聞き入れられずに、休む間もなく方々に出されて、我慢できなくなったことを。
すでに覚悟はできていて、死ぬなら思い切り騒いで楽しんでから死ぬつもりであることを。
唖然として言葉をなくす官兵衛に、半兵衛が伝えた。
逆心のないことを信長に証し立てるための宴であることを。
そして、許せるかどうかの一か八かの賭けに勝てるかにより、播磨の命運も決まると。
やがて、もろ肌脱ぎで踊っていた秀吉が、播磨行きが口先だけになってしまったことを、官兵衛に詫びた。
播磨に兵を出すよう、命に代えても信長に懇願すると。
よくついてきてくれたこと、死んでも幸せであることを感謝する秀吉に、皆はただただ感激するばかりだった。
そこへ、三成(田中圭)が広間に飛び込んできた。
信長の使者からの言伝で、急ぎ安土に参れと。
翌日、官兵衛たちが重苦しい雰囲気の中で知らせを待つ中、突然秀吉が明るい顔で駆け込んできた。
結果は、お咎めなし。
信長から毛利攻めの命が下った。
この頃の秀吉の肚の据わりようは、かなり強かったんだなあ。
万一あの時お咎めが下っていたら、秀吉はじめ家臣団そして長浜の領民たちは、どのような運命をたどることになっていたんだろうか?
いずれにせよ、この時代の長浜では、家臣団も領民たちも、心はつながっていたのかもしれない。
人間誰でも活力を得て蓄えるからには、まず食が必要。
「滋賀県長浜産コシヒカリ」、あの時代からつくられていたのかなあ。
2014-02-09 |
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by Hayden (2017-10-14 16:52)