八重の桜 あらすじ ネタバレ 第47回
11月24日日曜日に放送。
1888(明治21)年1月より、伊藤博文(加藤虎之介)が中心となり、来年発布予定の憲法の草案の大詰めの迎える中、
山本家では、みね(三根梓)の遺児・平馬が山本家の養子として育てられることとなり、佐久(風吹ジュン)は育児にかかり切りに。
久栄(門脇麦)もすっかり落ち着き、身も心も山本家の家族に。
しかし、襄(オダギリジョー)は正月以来、心臓が弱っていて何かと煩わされる日々。
それでも、自身の身体に鞭打つかのように、憲法発布に伴う国会開設までには、同志社大学設立を実現させる心積もり。
数日後、徳富猪一郎改め徳富蘇峰(中村蒼)主宰の『国民之友』最新刊・第17号を携え、蘇峰と市原が襄を訪ねてきた。
その最新刊の内容は、物質的知識の教育に重きをおく福澤諭吉と、精神的道徳の教育に重きおく襄を、二先生として讃えるもの。
襄は二先生の一人として崇められることに困惑するものの、記事の内容に目を通した大隈重信(池田成志)の提案で、東京での募金集会を打診してきたという。
襄の容体の落ち着きを見計らって、八重(綾瀬はるか)と襄は、東京へ出向いて、大隈邸での募金集会に臨むことに。
登壇した襄は、政財界の有力者の集う前で、緊張の面持ちだったが、予想以上の好評に感激。
しかし、病み上がりの身体の上に、喫煙による空気の充満は、襄の心臓にかなりの負担。
前後して八重は、東京帝国大学理学部教授となった山川健次郎(勝地涼)とも再会。
会津戦争で八重とともに戦った健次郎は、鉄砲の火薬の調合の経験を活かして、理学の専門的知識の習得と実践を極めることを決意したという。
襄は、同志社大学設立の目的の一つが、理学の専門学科の創設に伴う人材育成であることを主張。
健次郎は快諾した。
休む間もなく、八重と襄は、勝海舟(生瀬勝久)と対面。
襄の手掛けた「同志社大学設立の旨意」に目を通した勝は、人民のための大学ならば、人民に広く知ってもらう必要があるとして、数万人の読者を持つ『国民之友』への掲載を提案。
そして、襄の草案に蘇峰の加筆した「同志社大学設立の旨意」は、『国民之友』のほか全国20余りの主要新聞に掲載されて、多くの支持を集めることに。
さらに勝の薦めた静養先の鎌倉では、槇村正直(高嶋政宏)と再会。
寄付を受け付けることに。
かねてから覚馬(西島秀俊)との軋轢のあった槇村だったが、同志社を第一に認めた人物としての面目を保ちたかったようで...。
京都へ戻ってからの襄の容態は、再び悪化。
主治医の明石博高は、以前よりも心臓が弱っていること、次に発作が起こったら心臓破裂の恐れがあることを、八重に伝えた。
襄の前で何気に明るく振る舞う八重だったが、襄はすべてを察していて...。
襄は八重に話した。
一番恐ろしいのは、死そのものではなく、何の心構えのないまま、突然死を迎えることであると。
1889(明治22)年2月、大日本帝国憲法が発布された。
10月、襄は病に伏せた母・登美(香野百合子)の看病を八重に託して、再び寄付金集めのために関東へ。
『八重の桜』では、大学設立の趣旨説明と寄付金集めに奔走の新島襄を演じるオダギリジョー。
心の中はいつでも、2006(平成18)年と2007(平成19)年に放送されたテレビ朝日金曜ナイトドラマ『時効警察』で演じた霧山修一朗のように、AIPの「3WAY WAIST BAG」を身に付けて、方々を駆け回っているのかもしれない?
2013-10-01 |
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