軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第8回
2月23日日曜日に放送。
1575(天正3)年7月、小寺政職(片岡鶴太郎)の名代として織田信長(江口洋介)に拝謁するため、岐阜城を訪ねた官兵衛(岡田准一)は、余計なことを口にせず要を得た答え方をするよう、近習の万見千千代(田中幸太朗)からの忠告を受け、層々たる重臣たちの居並ぶ主殿で控えたまま。
荒木村重(田中哲司)の書状に目を通したこと伝えた信長へ、平伏する官兵衛は、主の政職が織田勢に味方すること、しかるべき大将の下で先手として軍勢を播磨に出したいことを願い出た。
官兵衛を余所者とみなすゆえ気に喰わないからか、柴田勝家(近藤芳正)は、越前一向一揆や上杉謙信への備えのために、北に重きを置くべきと主張。
しかし、官兵衛は、一向一揆の大本・石山本願寺が、毛利とつなっているゆえ、中国から石山本願寺への道筋である播磨を制すべきと、勝家を論破。
見かねた滝川一益(川野太郎)が、500余の兵しかいない黒田家を軽んじたことに対しても、戦の勝敗は兵の多寡ではないと反論。
そんな中、官兵衛への明確な支持者は、足利義昭(吹越満)の下を去り信長の臣下となった明智光秀(春風亭小朝)だった。
後を押されるように官兵衛は用意していた地図を広げて、一気に計略を語った。
播磨の大方の大小名は、現時点で毛利に属しているものの、毛利の威勢をはばかっているだけにすぎないゆえ、結束は強くないとして、播磨一国を必ず説き伏せると宣言。
信長は快諾し、考えが同じことを讃えられた官兵衛は、拝謁を終えた直後、一気に脱力してしまうありさまに。
そして、秀吉(竹中直人)から呼び止められた官兵衛と家臣一行は、岐阜を案内されることに。
二人だけの話し合いとなった秀吉は、信長自身で名付けた切れ味の良い名刀・"圧切"を拝領したことを、官兵衛に話して誇らしげ。
さらに話を聞いたところ、秀吉はわざとあの場に遅刻してきたとのこと。
もし、あの場に居合わせて官兵衛に助け舟を出せば、勝家のように農民出の秀吉を毛嫌いする者が、官兵衛の意見に異を唱えたろうし、光秀もかばわなかったのではないかと予想したという。
しかも秀吉は、自身が毛利攻めの大将に任じられるよう、一芝居打ったらしくて...。
同じ頃、庭での相撲見物をしながら、正室・お濃(内田有紀)と南蛮渡来の赤葡萄酒を飲みながら、信長は語っていた。
人こそ一番の道具であるということ、競い合うことを忘れた人間は役に立たないということ、中でも秀吉は一番使いやすい道具であるということを。
信長は、しっかりと臣下を見据えていた。
秀吉が手柄を挙げることに我慢ならない勝家と光秀それぞれの競い合いを。
そして、新たに良き道具とみなした官兵衛と秀吉とのウマがあえば、存外面白い仕事をするかもしれないということを。
こうして、秀吉は中国を、官兵衛は播磨を、光秀は丹波を、勝家は北国を、それぞれ攻め入る見通しへ。
この頃の秀吉は前年に北近江を与えられ、交通の要衝である"今浜"に新たに城を築き、信長の一字を貰って"長浜"と地名を改めた。
半ば強引に秀吉に招かれることとなった官兵衛一行は長浜城下へ。
方々で工事が行われて、新しい町を作っている最中だった。
秀吉は、町を豊かにすることこそ最大の守りであり、いずれは岐阜にも負けない大きな町にする、という心意気。
翌日、官兵衛は長浜城で秀吉の糟糠の妻・おね(黒木瞳)と初めて対面。
秀吉としては、この世でただ一人恐れている人物とのことで、その証拠に挨拶早々から昨夜どこに泊まったのかと、問い詰められるありさまで...。
というも、昨夜の秀吉と官兵衛一行が、秀吉の側室・南殿の屋敷で豪勢な宴会を催していたことを、すでにおねは熟知していて、側室の有無より嘘をついてこそこそしているのが、一番気に入らないとご立腹。
しかし間もなく、秀吉の小姓による豪勢な土産による懐柔で、おねの立腹は治まった。
彼は、生意気そうだが利発な若者で、名は石田三成(田中圭)。
しばらくして、おねは秀吉に領民からの運上金徴収をやめるよう忠告。
損して得取れ、と。
今は領民の心を掴むことに専念していれば、次第に人は集まり、国は豊かになり、強くなる、と。
秀吉がおねを"天下一の女房"と自慢するだけあって、官兵衛は深く感心。
夜も更けて、官兵衛と秀吉は静かに酒を酌み交わし、思うところを口にし合う。
特に、自身の貧しかった頃の話の中、成り上がりの秀吉にすれば、黒田家に忠義を尽くす善助(濱田岳)たち家臣団たちの存在が、よほど羨ましいらしくて...。
それでも、互いに戦で多くの家臣を亡くしている身の上あって、いかに味方の兵を減らすことなく勝利を収めることが肝心であること、人こそ宝で戦わずして勝つことができれば一番であること、を互いに確かめ合うことで、官兵衛と秀吉は意気投合することとなった。
今は長浜、将来は福岡・博多。
黒田官兵衛と羽柴秀吉のちの豊臣秀吉。
初めて意気投合しあった時の気持ち、
永遠に続いてくれれば嬉しいはずなのに....。
長きにわたる関わり合いの中で、
一体どのような変化が?
「腹が減っては戦ができぬ」の心境かなあ、しっかりと食べてじっくりと見届けようかな。
『博多長浜とんこつラーメン・長浜将軍の博多名産セット』をじっくりと味わいながら...。
不思議な名前だよなあ。
本当に、長浜と博多、それぞれにおける、黒田官兵衛と豊臣秀吉の関係性を陰ながら暗示しているかのように?
2014-01-26 |
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