花燃ゆ あらすじ ネタバレ 第38回
9月20日日曜日に放送。
1869(明治2)年6月上旬、養父・毛利敬親(北大路欣也)の隠居で跡を継ぐこととな毛利元徳(三浦貴大)は、従三位・参議となるも、中旬より始まった版籍奉還に伴い知藩事に。
しかし、その制度変更による混迷あって窮乏しつつある財政克服に直面させられたことで、11月25日に藩政改革を断行。 これまでの長州尽くしてきた多くの兵士たちを、断腸の思いで解くことに。
中でも、解散命令の出された奇兵隊は、藩士と藩士以外の武士や町人や農民からなる混成部隊として激動を生き抜いてきたゆえ、解かれることになってしまった多くの農民たちの打撃は大きかった。
すぐさま不満は表面化し、11月30日には、寄組山田氏の家臣であった長島義輔ら旧奇兵隊士の一部や振武隊の藤山佐熊や鋭武隊の富永有隣(本田博太郎)ら旧諸隊士1200人が"脱隊騒動"を起こすことに。
翌年1870(明治3)年正月早々、かたや萩城を、かたや山口城を包囲する騒ぎに。
それに乗じて農民一揆も頻発するようになり、木戸貫治改め木戸孝允(東山紀之)は、遠い将来における長州閥の発言力低下を恐れから、直接鎮圧の指揮をとることに。
鎮圧に時間はかからなかった。 しかし、騒動の余波は方々に飛び火、微妙な軋轢を深めることになってしまって...。
一連の過程による人的被害は、脱隊軍の戦死60名・負傷73名、討伐軍の戦死20名・負傷64名。
農商出身者1300名は帰郷が許され、功労者と認められた600名には扶持米1人半が支給。
3月18日には25名をはじめ、5月6日までに35名が処刑された。
この件で処罰された221人の内訳は斬首84名、切腹9名、水牢舎2名、牢舎33名、遠島41名、謹慎45名であった。
この一件が長州藩全体の岐路、と言っていいのかもしれない。
特に、逆境をかいくぐって長州藩のために尽くしてきた奇兵隊の行く末、偉人や英雄の陰に隠れてしまう名もなき人たちの揺れる思いと葛藤、他人事じゃない。
2002(平成14)年10月発売の『長州奇兵隊 勝者のなかの敗者たち』(一坂太郎/中央公論新社)に関しては...。
その一方で、2014(平成26)年1月発売の『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 大室寅之祐はなぜ田布施にいたのか』(落合莞爾/成甲書房)...。
天皇に関することは,不思議なことばかり。 新たな切り口かとの思いが...。
当初は平城天皇流れを汲む学者の家系として朝廷に仕える下級貴族だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務めて幕府創設に貢献した大江広元の四男・季光、すなわち毛利季光を始祖とする、毛利氏一族とあって、思い入れは強いもので...。
時折改めて目を通してみようかなあ。
「やまぐち寶楽庵」の【吉田松陰串だんご 24串(48個)】や【偉人さん大集合 36個入り】を、時折味わいながら...。
2015-08-10 |
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