真田丸 あらすじ ネタバレ 最終回
「疾風」
12月18日日曜日に放送。
1615(慶長20)年5月7日早朝、ついに迎えた徳川方との最終決戦を前に軍議。 幸村(堺雅人)、治長(今井朋彦)、勝永(岡本健一)、全登(小林顕作)、治房(武田幸三)らは、それぞれの布陣を確認。
真田勢・毛利勢は、天王寺に陣取り敵を引き付ける役目。
陣容が整い次第、秀頼も出馬。 合図の豊臣家の馬印が掲げられるとともに、全軍一丸となっての攻撃の手筈へ...。
秀頼の御前で、必ず家康(内野聖陽)の首を取ると誓った家康は、気合いっぱい。
幸村は茶々(竹内結子)の元へ行き挨拶。 万が一家康を打ち損じた時は、残されたものを救うために、千姫(永野芽郁)を和睦の使者として、秀忠(星野源)の元へ向かわせてほしい、との頼みごと。
茶々の快諾で心残りのない幸村だったが、自室に戻り、鎧をつけながら今までの人生を振り返り、何かこの世に生きた証は残せただろうかと、傍で見守る内記(中原丈雄)に問いかけ。
内記からの人の値打ちは時が決めるものとの回答とともに、遠くで早蝉が...。
自陣から豊臣の陣を眺めている万全の家康だったが、秀頼(中川大志)の出陣で、徳川方に従う豊臣恩顧の大名たちの寝返りを内心恐れており...。
真近で察した正純は、秀頼が出陣を躊躇する謀略、すなわち幸村がこちらに寝返ったという噂の流布へ...。
その幸村の陣では、幸村、勝永、治長が秀頼の出馬を待つものの、秀頼はなかなか現れない。
治長は出馬を促す使いを出すため陣を出立。
待っている間、幸村と勝永は勝つための策を語り合い。
徳川方の兵は実戦経験に乏しい。 陣構えの要領の悪さしかり、各大名のまとまりの悪さしかり。 それらの隙に乗じて、真田・毛利両軍での家康本陣突入ならば、必ず勝てる。
そう踏んだ直後、徳川方の部隊からの毛利軍銃撃が、耳に届いて...。
毛利軍もすぐさま応酬。
一斉攻撃を仕掛ける心積もりなだけに、予定外の戦闘開始の早さから、大坂城の秀頼はすぐに出陣の姿勢。
しかし、大蔵卿局(峯村リエ)からの必死の制止。 正純の流した幸村と徳川方との内通の噂を真に受けていたために...。
その頃、勝永率いる毛利軍は、快進撃のまま本多隊を真田隊を撃破、家康の本陣へまっしぐら。
幸村はともに戦うという大助を制し、城に戻って秀頼への出陣要請を命じた上で、いよいよ出陣となった。
怒涛のごとくく進撃する幸村と真田軍に、戦慣れしていない徳川軍は大混乱。
「目指すは家康の首、ただひとつ!」と、家康の本陣を目指して馬を突進させる幸村の、49年の歳月の刻まれた精悍な顔つきと眼差しは、燃えるように輝いていた。
真田左衛門佐幸村という名は、戦国の世に生き、義を貫き通し、徳川家康と渡り合ったことで、のちの世に「日の本一の兵」として語り継がれてゆく。
いよいよ終わりか...。
負けると解かっていても、"義"を貫く姿への感動あって、思い入れしたくなる登場人物の多かった『真田丸』も...。
この度の終わりの魅せ方、秀頼を連れての真田幸村逃亡伝説を信じたくなるくらいの展開に?
あの大阪夏の陣の後の薩摩藩・島津家の軍船で逃亡することとなって、鹿児島の谷山に上陸してからの、現在の鹿児島県南九州市頴娃町に想いを馳せてみて...。
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じっくりと味わってみたいくらいに...。
最後の最後まで感動できるドラマだった。
2016-11-01 |
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