西郷どん あらすじ ネタバレ 第37回
「江戸無血開城」
9月30日日曜日に放送。
翌日、すなわち1868(慶応4)年3月14日よりの本格的な会談...。
唐突に勝海舟(遠藤憲一)から吉之助(鈴木亮平)へ口火。 江戸城も軍艦も武器も新政府に明け渡しの反面、慶喜(松田翔太)の備前岡山藩預かりだけは承服できぬ、と。
吉之助は、元藩主が慶喜の弟ゆえ懸念なしと断言。
それでも海舟は反論。 いかに弟であれ、藩の意向の恭順ならば、慶喜への切腹通達も、家臣による暗殺も、ともにあり得るゆえ、実家の水戸預かりにせよ、と。
しばしの対峙の末、吉之助は江戸城総攻撃の即時中止の約束。 有栖川宮熾仁親王東征大総督への伺いのため駿府へ出立の告白。
海舟は初めての笑顔とともに起立。
吉之助は深き平伏とともに感謝の言葉の伝達。 かの山岡鉄舟(藤本隆宏)痛感の勝者と敗者の無情な入れ代わりの現実とともに...。
翌年1869(明治2)年、西郷一家は上野園の借家から武村に移住。 奄美大島育ちの菊次郎(城桧吏)も引き取りへ...。
菊次郎のほかには、吉之助と糸(黒木華)と寅太郎、先の戊辰戦争で討死の吉二郎(渡部豪太)の妻・園(柏木由紀)と2人の子ども、信吾改め従道(錦戸亮)の妻、食客・川口雪篷(石橋蓮司)と下男・熊吉(塚地武雅)に数十匹の犬、といった賑やかさ...。
すでに西郷吉之助改め西郷隆盛は、正三味という栄誉を辞退し薩摩帰郷。
折しも、一蔵改め利通(瑛太)主導で、江戸改め東京を首都に新国家設計図の具体化のはじまりの反面、先の海舟との会談での追従、徳川家壊滅せず、といった非難轟々ぶりに、嫌気いっぱいになって...。
この時の隆盛は、愛犬や我が子とともに山かけめぐり、月命日に斉彬(渡辺謙)の墓参りの日々に、充分過ぎるほど満足だった。
1871(明治3)年3月、午次郎誕生...。
ある日、すでに兵部権大丞兼陸軍掛の従道帰郷。 妻・清子をこのまま東京行きの旨の告白。
すかさず隆盛が菊次郎の東京行きの旨の申し出。 糸はまだ11歳ゆえの不安を理由に制止。
それでも隆盛は、郷中の若人たちの相次ぐ東京行き、早いか遅いかの違い、それぞれの諭し。 菊次郎とともに東京へ...。
そこへ、利通や土佐の板垣退助(渋川清彦)からの、隆盛への助力希望の強き主張。
利通は血眼で強硬に主張。 ここで一気に廃藩断行なければ、新国家建設は不可能なこと。 方々からの猛反対ゆえ戦になりかねないだけに、何のための倒幕か理解できぬ、と。
最後の最後で始末つけるべしと痛感の隆盛は、すべて終えたら薩摩帰郷の誓い。 東京滞留の決断へ...。
旧き良き江戸の終焉...。
新しき東京のはじまり...。
一旦振り返ってみたくなった。
2013(平成25)年3月12日火曜日より発売の『江戸と江戸城 (講談社学術文庫)』(内藤昌/講談社)に目を通しつつ...。
あの「浅草Sparkle」からの【お土産Tシャツ JAPAN T 江戸城 白/黒】を身に纏い...。
あの室町幕府初代将軍・足利尊氏の子孫、江戸時代に大名として継承の喜連川足利氏の江戸城中にて、御三家の次に位する"喜連川公方"、すなわち栃木県さくら市喜連川「紙屋菓子店」からの【ふるさと納税 喜連川公方最中 16個】...。
初代将軍徳川家康公よりの湯治場として天下一の温泉として幕府の直轄地、熱海大湯に伝承の名菓の流れの継承、静岡県熱海市網代にて1872(明治5)年創業の「菓子舗間瀬」からの【大湯まんじゅう 10個入】...。
じっくり噛み締めるか...。
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