八重の桜 あらすじ ネタバレ 第22回
6月2日日曜日放送。
冒頭から山本家は悲しみに。
あの"鳥羽・伏見の戦い"で、八重(綾瀬はるか)の弟・山本三郎(工藤阿須加)が討死した、という知らせが。
悲しみに打ちのめされた八重は、弟の仇を討ちたい一心から、心身ともに険しくなってゆく。
特に、来たるべき戦に備えての、八重から年少への鉄砲の指南、なかなかのもの。
手ほどきを受けるは、
会津藩士の子弟で、後に白虎隊に属することとなる、伊東悌次郎(下地幸多)、
高木時尾(貫地谷しほり)の弟・盛之輔(首藤勇星)、
そして、"知恵の山川"こと山川大蔵(玉山鉄二)の弟・健次郎(勝地涼)。
鶴ヶ城内の練兵場では、山川大蔵と佐川官兵衛(中村獅童)が、藩士たちにフランス式の体練を指揮。
一方、官軍では、東山道先鋒総督府の参謀として従軍することとなった、土佐藩上士・乾退助(加藤雅也)。
天領である甲府城の掌握目前の美濃大垣へ向けて出陣した、1868(慶応4)年2月14日。
その日は、甲斐源氏の流れを汲む戦国大名・武田信玄の家臣・板垣信方の没後320年。
岩倉具視(小堺一機)ら新政府首脳からの助言は、板垣信方の末裔であることを示して、甲斐国の民衆の支持を得るようにとのこと。
乾退助改め板垣退助は、改名が効を奏して"甲州勝沼の戦い"にて、大久保大和を名乗る近藤勇(神尾佑)率いる新選組の撃破に成功。
後に、会津戦争の参謀に。
そして、京の山本覚馬(西島秀俊)。
"鳥羽・伏見の戦い"の後に、薩摩藩に捕らわれて藩邸に収容。
覚馬はすでに失明、処刑は時間の問題になりつつあった。
幽閉中、覚馬は、これからの国のあり方を示した口述筆記による建白書『管見』を上程することに。
一番深く感動したのは、西郷吉之助(吉川晃司)。
覚馬の処刑の中止を、上層部に進言することに。
以後の覚馬は、粗略にされることなく好待遇で過ごし、1868(明治元)年に仙台藩邸の病院へ移送。
そこへ岩倉具視の訪問を受け、翌年1869(明治2)年に釈放へ。
西郷の心を動かしたのは、やはり覚馬と対面する前、
江戸城無血開城へと導くこととなった、勝麟太郎(生瀬勝久)との会談。
決め手は、何と「万国公法(国際法)」。
アメリカの法律家のヘンリー・ホイートンによる執筆で、1836年出版。
翻訳版の日本への輸入は、1865(慶応元)年。
「万国公法」と言えば、坂本龍馬を思い出した。
2010(平成22)年放送のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の第42回「いろは丸事件」、痛快だった。
国内外の政治経済を有利に導くための道標か。
現在もこれからも考えさせられること。
改めて目を通してみようかなあ。
2003(平成15)年12月発売の『龍馬の手紙 坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草』(坂本龍馬・宮地佐一郎/講談社)を...。
2007(平成19)年6月発売の『もし、坂本龍馬が営業マンだったら』(桑原正守/ダイヤモンド社)を...。
2013-04-19 |
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