軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第21回
5月25日日曜日に放送。
1578(天正6)年12月、商人に姿を変えた広峯神社の御師・伊吹文四郎(遠藤要)は、有岡城下に店を借りて、善助(濱田岳)、太兵衛(速水もこみち)、九郎右衛門(高橋一生)らとともに、官兵衛(岡田准一)の消息を探っていた。
探りから戻って官兵衛の生存の可能性を皆に伝えた善助によれば、官兵衛は本丸の牢に囚われているとのこと。
すでに1ヶ月、救う手立てを考える中、織田信長(江口洋介)の軍勢による総攻めが始まった。
織田の軍勢の銃撃は、土牢の官兵衛の耳に強く響いていて、攻め口を一つに絞らず四方からの銃声ゆえに、官兵衛は双方の兵の多大な損失の上に、いずれ荒木村重(田中哲司)が敗れることを、牢番の加藤又左衛門に、淡々と伝えるだけだった。
そして深夜、信長の本陣に、先鋒を務めた万見仙千代(田中幸太朗)の討死が伝えられた。
逆上した信長は、有岡城の官兵衛の入れ知恵で、仙千代が巧妙な罠にはめられたと決めつけて、人質の松寿丸(若山耀人)の首を斬れと秀吉に命令。
秀吉が慌てて思い直すよう信長に食い下がるが、聞き入れられない。
見かねた半兵衛が遮るように、自ら松寿丸の首を斬ると、淡々と信長に伝えて、陣を後にした。
2日後、半兵衛は松寿丸のいる長浜城へ出向いて、数日後に秀吉の元へ戻ってきた。
知らせを耳にした秀吉は、信長の下知により三木城攻めに戻る前に、播磨へ寄り道。
予め半兵衛から黒田家を敵に回さぬようにと念を押されていた秀吉は、神妙な表情で職隆(柴田恭兵)と光(中谷美紀)に手をついて詫びた。
松寿丸が信長の命で成敗されたと。
職隆も光も気丈に振る舞ったが、長くは続かなかった。
嗚咽した光を奥に下がらせながらも動揺する職隆に、秀吉は再び手をついて、織田とともに歩むことが黒田の生きる道だと、あえて伝えるしかなかった。
ただ、成敗は半兵衛に任せたままで、詳しいことは全然知らないとのこと。
それが後に何を意味することになるのか、この時の秀吉と職隆と光には、全然知る由もなかった。
松寿丸の死の知らせは、有岡城下の善助たちには職隆からの書状で、官兵衛には村重から直々に、それぞれ伝えられることになって...。
善助たち一同の焦りは頂点に達して、官兵衛は凍えるような土牢の中で慟哭するだけだった。
1579(天正7)年正月、織田勢の有岡城攻めは膠着状態のまま。
安土城では、家臣の年頭の出仕が見送りに。
信長は苛立ちを増すようになり、播磨の平井山で三木城攻めを再開した秀吉は、敵の日干しをひたすら待つだけだった。
村重の元には、毛利からの援軍を先延ばしにするという書状が。
官兵衛は絶望のどん底に。
そんな逆境の中、長い苦労の末に賄い方の下男として城に潜入した九郎右衛門が、懸命に官兵衛の居所を探していた。
光も抜け殻のような日々を過ごす中、職隆が突然訪れ、長浜のおね(黒木瞳)から届いたという扇を、光に渡して...。
光が広げると、扇一面に青々とした松が描かれている。
職隆は、松寿丸の生存の確信を光に伝えた。
信長に知られないよう、おねは書状でなく、松の扇で松寿丸の生存を知らせてくれている、と。
光は、泣きながらも目に輝きを取り戻した。
数ヶ月後、
官兵衛は高熱で製紙の淵をさまよい、だし(桐谷美玲)の懸命の看病の甲斐あって、ようやく一命を取り留めた。
外には春のやわらかな日差し。
小さな明かりの差し込む窓に目をやると、藤の花が咲いていた。
生存を一刻も早く伝えたい気持ちは、人間誰でも同じ。
しかしながら、敵同士の駆け引きの激しい状況下では、あからさまに伝えられないもの。
それだけに信じる力の強さも、生存能力の一つに。
松の描かれた扇を光に届けた、おねの思いやりは充分過ぎるほど伝わったけど、
【松葉茶(松の葉茶) 200g】も一緒に届けてくれたなら、心もより温まるはずなのに...。
いや、贅沢なわがままかなあ。
2014-04-09 |
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