軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第26回
6月29日日曜日に放送。
1572(天正10)年3月、黒田官兵衛(岡田准一)の嫡男・長政(松坂桃李)が、職隆(柴田恭兵)と光(中谷美紀)らに温かく見送られての初陣。
秀吉の軍勢に伴っての出陣で、本陣は備前沼城に。
しかし、秀吉本軍がすでに毛利に攻勢をかけていることを耳にした、待機中の長政は不満顔。
長政の指南役となった太兵衛(速水もこみち)が諭すには、秀吉の嫡男・秀勝の初陣を飾るためのものであること、備前の敵を倒して備中の毛利を牽制するための小さな戦であること、大きな戦が近づきつつあるゆえ鍛練に専念する必要があること、ということで...。
長政の不満は尾を引いていたが、戦の小休止にて、かつて長浜のおね(黒木瞳)とともに育った、秀吉の遠戚の子飼いで虎之助改め加藤清正(阿部進之介)と市松改め福島正則(石黒英雄)と再会。
彼らをを相手に稽古に打ち込むことで、いくらか解消されることに。
官兵衛は蜂須賀小六(ピエール瀧)とともに、境目七城の一つである備中髙松城主・清水宗治(宇梶剛士)と話し合いへ。
小早川隆景(鶴見唇吾)から忠義と武功を信頼されているだけあって、「裏切りで得た国は、裏切りで失う」と言わんばかりに、応じないまま。
結局のところ、宗治からは、嫡男・景治が戦の後も生きていたら召し抱えることを託された官兵衛と小六は、宗治の忠義に敬服しつつも、やむを得ず去ることに。
夜になり、高山城へ探りに。
向かったのは、黒田家臣団。
城へ通じる道は一本しかなく、しかもぬかるみが酷くて、簡単に足をとられてしまう。
しかし、すぐに敵からの夜討ち。
家臣団は、命からがらだった。
秀吉の軍勢が岡山城に拠点を移して、長政はいよいよ出陣の時。
髙松城孤立を一環とした、冠山城への攻撃だった。
清正の城への一番乗りに刺激された長政は、まさに猪突猛進の勢い。
常に長政の身を案じる太兵衛の助太刀あって、長政は見事に敵の大将の首を上げた。
しかし、官兵衛は長政を、猪武者そのもので、命の使い方をわかっていないと指摘。
長政は、亡き半兵衛(谷原章介)の遺志に報いたい気持ちを解かってもらえないと、いくらか不満に。
父も子も、互いに葛藤。
ただ、官兵衛の直属の側近の善助(濱田岳)は、理解していた。
指南役の太兵衛の一途に守る姿から、日頃から一人きりでないことを、長政に実感させることを。
長政の指南役として、付かず離れずの距離を保たせることで、太兵衛に慎重に考えた上での行動を自覚させることを。
それから宮路山陥落後、官兵衛と毛利方の安国寺恵瓊(山路和弘)が和議へ。
恵瓊から和睦を持ちかけられた官兵衛は、安易に和睦に応じたために荒木一族は全滅したと慎重な構え。
そして、織田方に属すれば、安芸、長門、周防など四国の安堵を約束すると。
恵瓊は、一応受け入れるものの、隆景と吉川元春(吉見一豊)が応じるかどうかは、戻ってからの話し合い次第とのこと。
秀吉の本陣は、高松城を見下ろせる竜王山へ。
髙松城と周囲の地形を模した土図(立体模型地図)を作り上げたものの、秀吉はじめ、小一郎(嘉島典俊)、三成(田中圭)、そして官兵衛は、悶々と過ごすばかり。
そんな中、ふと雨が降るなり、官兵衛は偶然出会った通りすがりの老人の「そのうち雨が多く降る」という言葉を思い出した。
折しも梅雨は真近。
改めて土図を目にしたことろ、高松城の周囲は、三方が山、一方が足守川といった、すり鉢状の一片が欠けた形状。
足守川を遮断するように川上に堤防を築けば、自然と川上の水嵩が増すことに気付くなり、堤防工事が開始された。
三成が農民に金を配り、土嚢の積み上げが急激に進行してゆく。
一方、黒田家では、官兵衛と光に14年ぶりの男子誕生。
男子は熊之助と名付けられて、喜びに...。
しかしながら、誰も気づかないところで、不穏な流れが...。
それは、織田・徳川連合軍による、武田氏滅亡後すぐに、織田信長の長年の宿敵・六角次郎が、甲斐武田氏の菩提寺・恵林寺に逃げ込んだことからで...。
次郎を匿う快川和尚(山本學)に、かねてから昵懇だった光秀(春風亭小朝)が、次郎の引き渡しを切々と訴えたが、仏の御心に忠実な快川和尚は、決して応じることはなく...。
快川和尚を心から理解する光秀は、森蘭丸に掛け合ったが、無情にも応じることはなく...。
1582(天正10)年4月3日、織田信忠(中村倫也)の派遣した津田元嘉・長谷川与次・関成重・赤座永兼らによって、恵林寺は焼き討ちに。
快川和尚は燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して焼死。
光秀は、自身の無力さと織田信長(江口洋介)の仕打ちに涙。
この一件は、瞬く間に京へ伝わり、吉田兼和(堀内正美)も九条兼孝(米村亮太朗)も、恐ろしさと怒りで震え上がることに。
恵林寺は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある臨済宗妙心寺派に属する寺院で、山号は乾徳山。
信長を仏敵とみなしている寺院は、現在も多く存在するんだろうなあ。
かの場所である山梨県甲州市には、これまでにどのような歩みがあったのか?
その中で、いろいろな食が産み出されて...。
「風林火山」の武田信玄が陣中食として広めた幅広麺で、たくさんの野菜と煮込む人気の郷土料理『こだわり「ほうとう」ギフトセット (2人前X3)』。
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そして、桃の生産量が全国1位『山梨の美味しい桃(白桃3K L/10-11個入り)』。
将来に戦のない時代に想いを馳せて...。
2014-05-06 |
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