花燃ゆ キャスト 高良健吾
2015(平成27)年1月4日日曜日より放送開始のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の気になる日々は続いて...。
高良健吾も出演か...。
高良健吾と言えば、やはり未だに2011(平成23)年4月4日月曜日より放送開始のNHK朝ドラ『おひさま』で、5月30日月曜日より放送の第9週から最終週まで好演じた、ヒロイン・陽子(井上真央)の夫で温厚な丸山和成が、本当に強く心に焼き付いていて...。
『花燃ゆ』でヒロイン・杉文を演じる井上真央とは、約4年ぶりの共演..。
しかしながら、この度の関わりにおいては、松下村塾での学びの合い間に陰ながら何気に意識するのみにとどまるのかもしれない???
高良健吾が演じるは、長州藩士・高杉晋作。
高杉晋作と言えば、2010(平成22)年放送のNHK大河ドラマ『龍馬伝』での伊勢谷友介が...。
しかし、あの高良健吾のこと、伊勢谷友介に匹敵するかのような勢いで、必ず魅せてくれるはず。
いわゆる"維新回天"の原動力の要として、つい意識してしまうこと。
思想においては(『花燃ゆ』で伊勢谷友介が演じる)吉田松陰。 実働においては高杉晋作。
この二つの要が、いかに長州藩全体に浸透してゆくこととなるのかも、見所の一つに。
高杉晋作は、1839年9月27日(天保10年8月20日)に誕生。
長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)に長州藩士・高杉小忠太(大組・200石)・みちの長男として。
10歳の頃に疱瘡を患いながらも、向学心の強さをバネに、漢学塾(吉松塾)を経て、1852(嘉永5)年に藩校の明倫館に入学。
内藤作兵衛に柳生新陰流剣術も学び、のちに免許皆伝。
1857(安政4)年には、吉田松陰主宰の松下村塾に入塾。
久坂玄瑞(東出昌大)、入江九一(要潤)、吉田稔麿(瀬戸康史)とともに、松下村塾四天王に。
1858(安政5)年には藩命で江戸へ遊学、昌平坂学問所や大橋訥庵の大橋塾などで学びを深めることに。
しかし、1859(安政6)年、師の松陰が安政の大獄で捕縛。
すぐに松陰の入牢する伝馬町獄を見舞って、獄中の師を世話をするも束の間、藩からの帰還命令が...。
やむを得ず萩に戻る途中の10月、松陰は処刑。
失意と悲しみを抱えたまま1860(万延元)年11月に帰郷後、防長一の美人と言われた山口町奉行井上平右衛門(大組・250石)の次女・まさと結婚。
本格的な行動開始は、1861(文久元)年3月。
海軍修練のため、藩の所蔵する軍艦「丙辰丸」に乗船、江戸へ渡ってから。
神道無念流練兵館道場での剣術稽古を経て、8月には東北遊学を行い、佐久間象山や横井小楠とも交友。
そして、運命の1862(文久2)年。
藩命で、5月に五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情や、太平天国の乱を見聞して、7月に帰国。
後に自身で記した日記の『遊清五録』によれば、いわゆる尊王攘夷運動への大きな影響として残ったとのこと。
折しも長州藩では、高杉の渡航中に守旧派の長井雅楽らが失脚の反動で、尊王攘夷(尊攘)派が台頭。
本人も、桂小五郎のちの木戸孝允も、久坂玄瑞たちも、ともに尊攘運動に加わり、江戸・京都において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開し、各藩の志士たちとの交流へ。
1863(文久3)年5月10日、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎると、長州藩は関門海峡において外国船砲撃。 世に言う"下関戦争"が勃発。
しかし、すぐさまアメリカとフランスからの報復に遭って惨敗。
下関の防衛を任せられてからは、6月に廻船問屋の白石正一郎邸において身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成し、 阿弥陀寺(赤間神宮の隣)を本拠に。
8月には、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4カ国連合艦隊が、改めて下関を砲撃、砲台が占拠された。
和議交渉を任された時は24歳。
交渉の席で通訳を務めた伊藤俊輔のちの博文(劇団ひとり)の後年の回想によれば、この講和会議において、連合国は数多の条件とともに「彦島の租借」を要求。
高杉はほぼ全ての提示条件を受け入れたが、この「領土の租借」についてのみ頑として受け入れを拒否。
紆余曲折の末、取り下げさせることに成功へ。
清国の見聞を経た高杉が「領土の期限付租借」の意味するところ(植民地化。 すなわち、彦島は香港に? 下関は九龍半島に?)を深く見抜いていたからこその拒否対応で、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろうという見方が...。
以後、再度の長州征伐に備えての防衛態勢の強化を経て、1866(慶応2)年1月下旬。
土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎・土方久元を仲介として、高杉晋作・桂小五郎・井上聞多のちの馨・伊藤俊輔たちとともに進めていた薩長同盟が、京都薩摩藩邸にて締結。
5月の伊藤俊輔との薩摩行きの際に長崎で蒸気船「丙寅丸」(オテントサマ丸)の購入を経て、6月には第二次長州征伐に直面。
海軍総督として「丙寅丸」に乗り込み、周防大島沖に停泊する幕府艦隊を夜襲してこれを退け、林半七率いる第二奇兵隊等と連絡して周防大島を奪還。
小倉方面の戦闘指揮では、まず軍艦で門司・田ノ浦の沿岸を砲撃。 その援護のもと奇兵隊・報国隊を上陸させ、幕府軍の砲台、火薬庫を壊滅して敗走させた。
しかし、勝利の喜びも束の間、肺結核が少しずつ悪化。 桜山での療養生活へ。
1867年5月17日(慶応3年4月14日)、江戸幕府の終了を確信しながらも大政奉還を見ることのないまま、永眠へ。
享年27歳。
高良健吾のこれまでを振り返ってみて...。
1987(昭和62)年11月12日生まれの熊本県熊本市中央区出身。
2005(平成7)年1月より放送の日本テレビ学園ドラマ『ごくせん』(第2シリーズ)でドラマデビューし、2006(平成8)年10月より公開の『ハリヨの夏』で映画デビュー。
以来、連続ドラマで3か月スケジュールを空けるのが難しい関係上、映画出演が多く続き、素朴で実直な好青年や陰や棘のあるチンピラや顔役をこなすなどの"カメレオン俳優"として顔が、ほぼ定着...。
失礼ながら、父親が旅行会社勤務ゆえの転勤族で、九州内での転居を繰り返す環境にあったことが陰を落としているからか、一時期に反抗したり少しだけ引きこもった時期が、皮肉にも俳優としての演技力に好作用???
『花燃ゆ』での高杉晋作か...。
『美術模造刀剣 高杉晋作拵 栗田口写し(※山城鍛冶を代表する名工"栗田口国友"の作品を移した模したという意味)』とともに、想いを馳せてみたくなった。
ただ、実働部隊の要として方々を奔走する関係上、失礼ながら夫婦生活というものが想像しづらくて...。
それでも実際には、あの『おひさま』同様の温かみが、"戦士の休息"として垣間見ることになるのかもしれないや。
反面、高杉晋作としての実際の行動を想像すると、凄まじいものになるんだろうなあ。
2009(平成21)年にNHKで2月28日土曜日・3月7日土曜日・9月23日水曜日の全3回放送の『ドラマスペシャル・白洲次郎』で、伊勢谷友介演じる主人公・白洲次郎の少年時代を演じた時のように、一本気な性格で事あるごとに他人と衝突する傍ら、他人の意見を素直に聞く一面も併せ持っていて、常に政局を意識するかのような描写も目の当たりにすることになるはず。
特に、松下村塾での学び。
師の吉田松陰の洞察力と指南に関して。
高杉晋作の非凡さを逸早く見抜き、剣術ばかりであまり学業に本腰を入れない高杉を奮起させるため、あえて同門かつ幼馴染で優秀な久坂玄瑞ばかりをべた褒めし、高杉の悔しさをバネに自身の非凡さを発揮させ、久坂と肩を並べお互いを切磋琢磨し合うまでの流れを、いかに魅せることとなるのか、本当に気になるところ。
そして、下関戦争終結後の和議交渉の成功に至るまでの双方の駆け引きと心境も...。
2015(平成27)年9月6日日曜日放送の第36回にて、しっかりと魅せてくれるんだろうなあ。
『白洲次郎』で魅せた「動」と、『おひさま』で魅せた「静」....。
本当に待ち遠しいや。
2014-07-12 |
共通テーマ:日記・雑感 |
nice!(0) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0