軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第43回
10月19日日曜日に放送。
朝鮮出兵における独断による撤退の咎で蟄居の身の官兵衛(岡田准一)は、"如水円清"と名乗って剃髪、秀吉(竹中直人)からの許しを乞う心積もり。
結果として、おね(黒木瞳)や光(中谷美紀)をはじめとする周囲からの助命嘆願が功を奏したことと、秀吉と淀殿(二階堂ふみ)との間に新たな世継の拾(のちの豊臣秀頼)の誕生の喜びもあって、官兵衛は切腹を免れることとなった。
しかし、秀吉には新たなる悩みの種が...。
1591(天正19)年に当初の世継だった鶴松の病死で、家督相続の養子として関白職を譲った甥・秀次(中尾明慶)の問題だった。
関白就任以来、秀次は聚楽第に居住して政務を執るものの、太閤となった秀吉が全権を譲ったわけではない、いわゆる二元政治ゆえの釈然としない気持ちに加えて、この度の拾の誕生...。
秀次には、秀吉から疎まれているという気持ちが増す一方だった。
秀吉と秀次との対立が次第に深刻となって、1595(文禄4)年7月8日...。
秀吉の命で伏見城に登城した秀次は、「殺生関白(摂政関白のもじり)」と呼ばれたほどの乱行を理由として廃嫡を言い渡され、高野山へ追放。
しばらくのちに、謀反の咎で切腹を命じられた。
同年8月2日には三条河原において、秀次の家族及び女人らも処刑されることになり、秀次の首が据えられた塚の前で、遺児(4男1女)及び側室・侍女ら併せて39名が処刑。
約5時間かけて行われた秀次の家族らの処刑後には、その遺体は一箇所に埋葬され、その埋葬地には秀次の首を収めた石櫃が置かれたという。
武家とはいえ、天子の後見人として殿下と敬称される地位にあった関白が失脚早々に切腹の上に梟首となり、一族郎党を処刑するという苛烈な仕置は、公家社会に衝撃を与えることとなった。
しかも、秀吉の晩年の豊臣家の中では唯一とも言える成人した親族である秀次と、その子をほぼ殺し尽くしたことは、数少ない豊臣家の親族をさらに少なくし、豊臣家には秀頼を支える藩屏が全く存在しない危険な状態に...。
豊臣家を支えるそれぞれの家臣の暗闘は、さらなる深化を遂げることに...。
振り返ってみて、高野山での秀次の最期の朝餉(あさげ)は、どのような雰囲気だったのかなあ。
ささやかながらも味わいのある朝餉だったのかもしれない。
となれば、吟味した白ごまと吉野葛、深山から湧き出る岩清水を原料に、伝統の製法でつくりあげた深い味わいで定評のある、"角濱の胡麻豆腐"が、すでにこの時代より存在していたのかも???
現在では、世界文化遺産に認定された高野山の山上で製造、総本山金剛峯寺をはじめ山内の各寺院にお納めしているという。
『角濱総本舗 胡麻豆腐 190gX2本 5箱セット(タレ付き)』...。
形は小さくても深い味わい...。
その満足のゆく味わいが、永遠の物であることを祈って...。
2014-09-27 |
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