軍師官兵衛 NHK あらすじ ネタバレ 第47回
11月23日日曜日に放送。
1599(慶長4)年閏3月3日の前田利家(横内正)病死直後の、武断派による石田三成(田中圭)の屋敷襲撃の一件は、仲裁に入った徳川家康(寺尾聰)の計らいにより和談が成立。
三成は五奉行の退陰を承諾して近江佐和山城に蟄居へ。
9月9日の重陽の節供の挨拶を兼ねて、家康は大坂城本丸の淀(二階堂ふみ)と豊臣秀頼の拝謁に。
利家病死と三成不在の中、口実を設けての長逗留の五大老筆頭・家康に弓引けば逆臣、という意識の広まりを察した淀は、鬱積した気持ちを強めることに。
見かねたおね(黒木瞳)は、西の丸を離れて家康に明け渡し、菩提弔いのため京の住まいへ。
それから数日後、如水(岡田准一)と善助(濱田岳)は、佐和山城の三成と増田長盛(有薗芳記)に、隠居に向けての挨拶へ。
そして、越後の上杉景勝と直江兼続と手を組み乱に向けての手筈を整えていることを警告。 家康もすでに察していると...。
大坂の黒田屋敷に戻った官兵衛は、中津へ引き上げて徳川方にも石田方にも属さない旨を、長政に伝えた。
長政は、かつての父が亡き秀吉(竹中直人)を見定めて天下人に押し上げたように、家康を見定めて天下人に押し上げたいと打ち明けて、父・如水と分かち合う。
ほどなく如水は、九郎右衛門(高橋一生)と話し合い、京と大坂の動向の把握のため善助と太兵衛(速水もこみち)を残すことと、徳川方と石田方の戦の始まりに伴う三成の下知による大名の一族への囲い込みに備えて、中津へ逃れる手筈を確かめ合う。 光(中谷美紀)も快く受け入れた。
黒田屋敷を後にした如水と九郎右衛門は、安芸の広島城の毛利輝元(三浦孝太)へ拝謁の傍ら、徳川方と石田方どちらに属することになるのかを尋ねてみた。
五大老の一人である輝元は、豊臣家を秀頼を支える決意は強い。
吉川広家は三成の高飛車ぶりを嫌う反面、安国寺恵瓊(山路和弘)はかつて秀吉が天下人となることを予見した強味に加え、石田方の大名のやや多勢であることを理由に、そのまま属することが得策であると強調。
その場を後にした如水と九郎右衛門は、亡き小早川隆景(鶴見唇吾)のような重鎮の不在ゆえ、家臣の考えのすれ違いに直面した際の輝元の煮え切らない姿勢を察し、最悪の場合は命運の尽きてしまうのではと危惧することに。
明けて1600(慶長5)年、長政は大坂城西の丸の家康に新年の挨拶へ。
ともに酒を酌み交わす中、かつて幼少の折に人質としての苦難を克服した経緯あって、家康からの他人事に思えないとの気遣いに、長政は感動。
さらに、酔い潰れを装う家康を察した側近・井伊直政(東幹久)からの、このように気を許すことは滅多にないことと、家康の娘を嫁にすれば黒田家の将来も安泰であることを耳打ちされて、長政の心はいくらか揺れた。
黒田屋敷に戻った長政を出迎えたのは、正室・糸(高畑充希)の侍女・お富(玄覺悠子)。
床に臥せって泣いているという。
心配な長政が尋ねたところ、里に帰してほしいと、涙ながらに訴えて...。
5月になり、上杉方に謀反の動きありとの知らせが....。
家康が出立しようとしているとの知らせを耳にした、清正と正則と長政が止めに入るが、家康の出立しなければ天下に示しがつかないと色をなした表情から、長政は冷静にも察した。
偶然にも二人きりになった直政に問いただしたところ、「機は熟した」と。
長政は決断した。
長政は糸の願いどおり離縁して、里へ帰すことになった。 娘・お菊を黒田家に預けて...。
泣きながら母を求めるお菊の声を背に、糸は涙を流しながら去ってゆく。
光はじめとする侍女も、長政はもちろん、黒田家家臣団も涙が止まらなかった。
6月6日、徳川家康出立の日。
それは、栄姫(吉本美憂)が長政に嫁ぐ日でもあって...。
父の武運の祈りを兼ねて嫁入り前の挨拶を済ませた栄姫は、そのまま黒田屋敷へ入り婚儀が厳かに進められて...。
そして、栄姫は父とともに出立する長政の身支度を終えて、武運の祈りを兼ねて快く送り出してゆく。
6月16日、上杉景勝が5万6千の兵を率いて、会津へ出立した。
7月に入り、三成が戦に備えて大坂へ向かい始め、すでに察した善助と太兵衛は、黒田家一族の大坂から中津への脱出の手筈を実行する姿勢に...。
この時の家康は江戸城、上杉勢は会津へ向かう途上。
家康は余裕だった。
そして如水は、石田方の大名の多く占める九州の図面を正面に、策を練っている模様...。
いよいよ天下分け目の大戦の幕が切って落とされて...。
肝心の黒田家は官兵衛改め如水が隠居し、嫡男・長政が当主になった以上、長政の決断が命運を左右する鍵になりそうな展開が観られたかのよう。
長政に家康の養女・栄姫を娶る決意を促したのは、家康の幼少以来の側近である井伊直政。
演じるは、東幹久。
家康が幼少当時に人質として預けられた今川氏の家臣である、遠江国井伊谷の井伊直親の嫡男として誕生以来、幼少の家康と心を通わせて、少しずつ頭角を現したんだよなあ。
長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿は"井伊の赤鬼"と称され、「井伊の赤備え」と呼ばれる精鋭部隊の大将として、諸大名から恐れられた存在感は、あの関ヶ原の戦いでの深手を負いながらの突撃へとつながることになって...。
その武功から、彦根藩初代藩主として35万石が与えられることになって、徳川家から強い信頼を置かれた譜代大名として260年余にかけて安泰となり、大老職を務めることも。
江戸幕府初代征夷大将軍となった家康としては、西国の抑えと、非常時に皇室を守るため、京に近い彦根に代々勤皇の家柄である井伊家を配したとか。
かねてから長きにわたって苦楽をともにした人間に対しては、心が許せるものと、改めて実感させられるもの。
東幹久の演じた幼少以来の側近かつ槍の名手と言えば、2009(平成21)年放送のNHK大河ドラマ『天地人』で、上田衆きっての槍の名手・泉沢久秀を演じて以来、二度目か...。
直江兼続(妻夫木聡)とともに雲洞庵で修行して以来の一番の親友で、上杉家当主の上杉景勝(北村一輝)にとっては兼続に次ぐ信任があり、家老に抜擢されてからの働きぶりは目覚ましかった。
後の『軍師官兵衛』でも耳にすることとなる、上杉方謀反の疑いにまつわる前後の経緯が、克明に描かれていることは、本当に観応えある。
そもそもの発端は、1598(慶長3)年、家康(松方弘樹)を警戒する秀吉(笹野高史)の命により、上杉家が会津120万石に加増移封されたことが、幸か不幸か命運を大きく左右することになって、そして同年8月の秀吉の死...。
1600(慶長5)年3月になると鶴ヶ城が将来手狭になると考えた景勝が、会津盆地のほぼ中央に位置する神指に新城(神指城)の建築を命じてことにあたったことで、家康は景勝に4月に上洛して領内諸城改修の申し開きをするよう召還命令。
しかし、自身を五大老から排除する策謀と察した景勝は拒否。
それで家康から謀反とみなされたということになるとは...。
終盤における、"もう一つの関ヶ原の戦い"とは、
『天地人』では、7月に討伐に向かった家康の留守中に三成(小栗旬)らが"関ヶ原の戦い"に動き、家康西上後の兼続らが会津から出兵し、家康の東軍に与した伊達政宗(松田龍平)や最上義光らと戦った"東の関ヶ原"こと"慶長出羽合戦"が...。
『軍師官兵衛』では、如水による"西の関ヶ原"と称される一連の九州掌握の顛末が、11月30日日曜日放送の第48回と12月7日日曜日放送の第49回に、描かれるという。
『天地人』と並行して見届けるのもいいかもしれないや。
2014-10-11 |
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