花燃ゆ あらすじ ネタバレ 第26回 第27回
6月28日日曜日、そして7月5日日曜日の、2回にわたる放送...。
池田屋事件の衝撃から、怒りと悲しみのないまぜの長州藩は上下を挙げて激発、久坂玄瑞(東出昌大)は来島又兵衛(山下真司)や真木和泉らと諸隊を率いて東上する。
6月24日、玄瑞は長州藩の罪の回復を願う嘆願書を起草、朝廷に奉ることに。
この段階では長州藩に同情し、寛大な措置を要望する他藩士や公卿も多かったものの、7月12日に薩摩藩兵が京に到着すると形勢が逆転してしまう。 ほぼ同じ頃、幕府は諸藩に令を下し、京への出兵を促す。
7月17日、男山八幡宮の本営で長州藩最後の大会議が開かれる一方、諸藩は増援の兵を京に送り込んでおり、その数2万や3万の勢い。 対して長州藩は2千に満たない数の兵力。
そして、運命の1864(元治元)年7月19日、禁門の変(蛤御門の変)へ...。
蛤御門を攻めた又兵衛は会津藩隊と交戦し果敢に追い詰める勢い。 しかしながら、西郷吉之助(宅間孝行)率いる薩摩藩の援軍による加勢で、劣勢に追い込まれた挙句、又兵衛は狙撃され負傷。
長州軍は総崩れとなって、又兵衛は自害へ。
来島隊の開戦に遅れて到着した玄瑞・真木らの隊は、すでに又兵衛が戦死し、来島隊総崩れを知る。
玄瑞は鷹司輔煕に朝廷への嘆願を要請するため、鷹司邸に近い堺町御門を攻撃。門を守備する越前藩隊を突破できなかった代わりに、隊の兵に塀を乗り越えさせて鷹司邸内に侵入して交戦へ。
玄瑞自身は鷹司邸の裏門から邸内に入り、鷹司輔煕に朝廷への参内に付随、嘆願をさせて欲しいと要請。 しかし、無情にも輔煕は拒絶、玄瑞を振り切り邸から脱出してしまった。
越前藩隊は会津藩から大砲を借り受けて表門から邸内を攻撃、長州藩兵は各自逃亡を始めた。
鷹司邸はすでに炎上、玄瑞はともに自刃しようとする入江九一(要潤)を説得し「いかなる手段によってもこの囲みを脱して世子君に京都に近づかないように御注進してほしい」と後を託す。
九一は受け入れて屋敷を脱出するも、越前藩兵に見つかり、槍で顔面を刺されて死亡してしまった。
鷹司邸内に最後に残った玄瑞と寺島忠三郎(鈴木伸之)は、ともに自刃。
この時、玄瑞は享年24歳、忠三郎は享年21歳。
長州藩は朝敵に。
その知らせとともに、玄瑞の死を知った文(井上真央)は、悲観に暮れた。
杉家を離れて新たなる家での再出発を待ち焦がれていただけに...。
戦を繰り広げる時代における"別れ"というものは、ある日突然訪れるだけに、悲しいもの。
それだけに、後年に小田村伊之助(大沢たかお)の手で、玄瑞の遺稿や文に宛てた書簡21通をまとめた「涙袖帖」が語り継がれることになったのは、心に染み入るものだけど...。
ともかく京の町が、21日朝にかけて「どんどん焼け」と呼ばれる大火に見舞われ、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失する中で、敵味方関係なしに多くの人たちが亡くなることになってしまったのは、大きいもので...。
折しも、御盆休みの近づく時期とあるから、1754(宝歴4)年より創業の「泉屋」による【カメヤマローソク 大河ドラマ「花燃ゆ」 杉文 橙の花の香りのお線香】で冥福を祈ることはもちろん、2014(平成26)年8月22日金曜日発売の『幕末群像の墓を巡る』(合田一道/青弓社)に目を通して、想いを馳せてみようかなあ。
そして、京都御所や神社仏閣や茶道家元のご用命を承る有職菓子司として名を馳せてきた老舗「笹屋伊織」からの菓子を、時折口にしながら...。
黒糖5つと抹茶5つによる【カステラさんどセット詰合せ】。
最中皮につぶ餡をはさんだ作りたての香ばしさいっぱいの【お手作り最中】。
もちもちの食感の薄皮でつぶあんを包んだ【あずき餅】。
刻み栗入りの白あんに練乳、バター、蜂蜜を練りこみ、しっとりと上品に焼き上げた【千客万来 18個入】。
きな粉と黒蜜を練り込んだくず餅と、うぐいす粉と白蜜を練り込んだ笹くず餅、それぞれ6つの【くず餅・笹くず餅】。
なめらかな口どけ、軽やかな甘さある"こし"と"抹茶"と小倉"の三種類の「涼菓 伊織の水羊羹」と、作りたての涼しさを味わっていただける突き出しタイプの「くずきり」3つの【水羊羹・くずきり詰合せ】。
いずれも忘れられない味わい。
2015-05-22 |
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